はない。情けは情け、義は義である。おれにはせんようがあると考えた。そこで更闌《こうた》けて抜き足をして、後ろ口から薄暗い庭へ出て、阿部家との境の竹垣《たけがき》の結び縄《なわ》をことごとく切っておいた。それから帰って身支度をして、長押《なげし》にかけた手槍《てやり》をおろし、鷹《たか》の羽の紋の付いた鞘《さや》を払って、夜の明けるのを待っていた。
討手として阿部の屋敷の表門に向うことになった竹内数馬は、武道の誉れある家に生まれたものである。先祖は細川高国の手に属して、強弓《ごうきゅう》の名を得た島村|弾正貴則《だんじょうたかのり》である。享禄《きょうろく》四年に高国が摂津国《せっつのくに》尼崎《あまがさき》に敗れたとき、弾正は敵二人を両腋《りょうわき》に挟《はさ》んで海に飛び込んで死んだ。弾正の子市兵衛は河内の八隅家《やすみけ》に仕えて一時八隅と称したが、竹内越《たけのうちごえ》を領することになって、竹内《たけのうち》と改めた。竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国《きいのくに》太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練《しろねり》に朱の日の丸の陣羽織をもらった。朝鮮
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