》興孝《おきたか》、六男長岡式部|寄之《よりゆき》の三人がある。妹《いもと》には稲葉|一通《かずみち》に嫁した多羅姫《たらひめ》、烏丸《からすまる》中納言《ちゅうなごん》光賢《みつかた》に嫁した万姫《まんひめ》がある。この万姫の腹に生まれた禰々姫《ねねひめ》が忠利の嫡子光尚の奥方になって来るのである。目上には長岡氏を名のる兄が二人、前野長岡両家に嫁した姉が二人ある。隠居三斎|宗立《そうりゅう》もまだ存命で、七十九歳になっている。この中には嫡子光貞のように江戸にいたり、また京都、そのほか遠国にいる人だちもあるが、それがのちに知らせを受けて歎《なげ》いたのと違って、熊本の館《やかた》にいた限りの人だちの歎きは、わけて痛切なものであった。江戸への注進には六島少吉《むつしましょうきち》、津田六左衛門の二人が立った。
 三月二十四日には初七日《しょなぬか》の営みがあった。四月二十八日にはそれまで館の居間の床板《とこいた》を引き放って、土中に置いてあった棺《かん》を舁《か》き上げて、江戸からの指図《さしず》によって、飽田郡《あきたごおり》春日村《かすがむら》岫雲院《しゅううんいん》で遺骸《いがい》
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