と、反対したくなったのだが、のちにはこの男の意地で勤めるのを知って憎いと思った。憎いと思いながら、聡明《そうめい》な忠利はなぜ弥一右衛門がそうなったかと回想してみて、それは自分がしむけたのだということに気がついた。そして自分の反対する癖を改めようと思っていながら、月がかさなり年がかさなるにしたがって、それが次第に改めにくくなった。
 人には誰《た》が上にも好きな人、いやな人というものがある。そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿《せんさく》してみると、どうかすると捕捉《ほそく》するほどの拠《よ》りどころがない。忠利が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである。しかし弥一右衛門という男はどこかに人と親しみがたいところを持っているに違いない。それは親しい友達の少いのでわかる。誰でも立派な侍として尊敬はする。しかしたやすく近づこうと試みるものがない。まれに物ずきに近づこうと試みるものがあっても、しばらくするうちに根気が続かなくなって遠ざかってしまう。まだ猪之助といって、前髪のあったとき、たびたび話をしかけたり、何かに手を借《か》してやったりしていた年上の男が、「どうも阿部にはつけ入る隙《ひま》がない」と言って我《が》を折った。そこらを考えてみると、忠利が自分の癖を改めたく思いながら改めることの出来なかったのも怪しむに足りない。
 とにかく弥一右衛門は何度願っても殉死の許しを得ないでいるうちに、忠利は亡くなった。亡くなる少し前に、「弥一右衛門|奴《め》はお願いと申すことを申したことはござりません、これが生涯唯一《しょうがいゆいいつ》のお願いでござります」と言って、じっと忠利の顔を見ていたが、忠利もじっと顔を見返して、「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」と言い放った。
 弥一右衛門はつくづく考えて決心した。自分の身分で、この場合に殉死せずに生き残って、家中のものに顔を合わせているということは、百人が百人|所詮《しょせん》出来ぬことと思うだろう。犬死と知って切腹するか、浪人して熊本を去るかのほか、しかたがあるまい。だがおれはおれだ。よいわ。武士は妾《めかけ》とは違う。主《しゅ》の気に入らぬからといって、立場がなくなるはずはない。こう思って一日一日と例のごとくに勤めていた。
 そのうちに五月六日が来て、十八人のものが皆殉死した。熊本中ただその噂《うわさ》ばかりである。誰はなんと言って死
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