外套とを出させた。老人の奴隷が用心して何も問はずにゐると、主人は奴隷の目を見て、無言の問に答へた。
「お前附いて来るのだ。」
主人はいつもの楽な、軽らかな足取で歩く。窪んだ頬の上に薔薇色の紅《くれなゐ》が潮《さ》してゐる。多くの町や広場を通り過ぎて、主従は大ぶ家を遠ざかつた。併し老人には主人がどこへ往くのだか分からない。そのうち主人が目的地に達したやうに足を止《とゞ》めたので、老人が決心して問うた。
「檀那様。ここへお這入なさいますか。」
「さうだ。」
主人の声は苦労の無ささうな声である。二人は監獄の門に入つた。
財産があり、身分のあるフロルスであるから、獄吏は別に面倒な事も言はずに、客の要求を容れた。勿論心附けは辞退せずに受けた。フロルスは頃日《このごろ》逃亡した奴隷が監獄の中に入れられてゐはせぬか、捜して見たいと要求したのである。
フロルスは隅々まで気を配つて、しかも足早に監獄を見て廻つて、最後の地下室をも剰《あま》さなかつた。その目附は馴染のある場所を見て廻るやうな目附であつた。最後にフロルスは詞せはしく問うた。
「囚徒は皆内にゐるのですね。今見たのより外にはゐないのです
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