へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に筵《むしろ》を敷いて、球根からすぐに紫の花の咲いた草を列《なら》べて売っているのを見た。子供から半老人になるまでの間に、サフランに対する智識は余り進んではいなかったが、図譜で生の花の形だけは知っていたので、「おや、サフランだな」と思った。花卉《かき》として東京でいつ頃から弄《もてあそ》ばれているか知らない。とにかくサフランを売る人があると云うことだけ、この時始て知った。
この旅はどこへ往《い》った旅であったか知らぬが、朝旅宿を立ったのは霜の朝であった。もう温室の外にはあらゆる花と云う花がなくなっている頃の事である。山茶花《さざんか》も茶の花もない頃の事である。
サフランにも種類が多いと云うことは、これもいつやら何かで読んだが、私の見たサフランはひどく遅く咲く花である。しかし極端は相接触する。ひどく早く咲く花だとも云われる。水仙よりも、ヒヤシントよりも早く咲く花だとも云われる。
去年の十二月であった。白山下の花屋の店に、二銭の正札附でサフランの花が二三十、干からびた球根から咲き出たのが列べてあった。私は散歩の足を駐めて
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