へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に筵《むしろ》を敷いて、球根からすぐに紫の花の咲いた草を列《なら》べて売っているのを見た。子供から半老人になるまでの間に、サフランに対する智識は余り進んではいなかったが、図譜で生の花の形だけは知っていたので、「おや、サフランだな」と思った。花卉《かき》として東京でいつ頃から弄《もてあそ》ばれているか知らない。とにかくサフランを売る人があると云うことだけ、この時始て知った。
 この旅はどこへ往《い》った旅であったか知らぬが、朝旅宿を立ったのは霜の朝であった。もう温室の外にはあらゆる花と云う花がなくなっている頃の事である。山茶花《さざんか》も茶の花もない頃の事である。
 サフランにも種類が多いと云うことは、これもいつやら何かで読んだが、私の見たサフランはひどく遅く咲く花である。しかし極端は相接触する。ひどく早く咲く花だとも云われる。水仙よりも、ヒヤシントよりも早く咲く花だとも云われる。
 去年の十二月であった。白山下の花屋の店に、二銭の正札附でサフランの花が二三十、干からびた球根から咲き出たのが列べてあった。私は散歩の足を駐めて、球根を二つ買って持って帰った。サフランを我物としたのはこの時である。私は店の爺《じ》いさんに問うて見た。
「爺いさん。これは土に活けて置いたら、又花が咲くだろうか。」
「ええ。好く殖《ふ》える奴《やつ》で、来年は十位になりまさあ。」
「そうかい。」
 私は買って帰って、土鉢《どばち》に少しばかり庭の土を入れて、それを埋めて書斎に置いた。
 花は二三日で萎《しお》れた。鉢の上には袂屑《たもとくず》のような室内の塵《ちり》が一面に被《かぶ》さった。私は久しく目にも留めずにいた。
 すると今年の一月になってから、緑の糸のような葉が叢《むら》がって出た。水も遣らずに置いたのに、活気に満ちた、青々とした葉が叢がって出た。物の生ずる力は驚くべきものである。あらゆる抗抵に打ち勝って生じ、伸びる。定めて花屋の爺いさんの云ったように、段々球根も殖えることだろう。
 硝子戸の外には、霜雪を凌《しの》いで福寿草の黄いろい花が咲いた。ヒアシントや貝母《ばいも》も花壇の土を裂いて葉を出しはじめた。書斎の内にはサフランの鉢が相変らず青々としている。
 鉢の土は袂屑のような塵に掩《おお》われているが、その青々とし
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