黷ヘ巧妙な芸術家の事である。同じモデルの写生を下手《へた》に繰り返されては、たまったものではない。ここらで省筆《せいひつ》をするのは、読者に感謝して貰《もら》っても好《い》い。
尤《もっと》もきみ子はあの家の歴史を書いていなかった。あれを建てた緒方某《おがたぼう》は千住の旧家で、徳川将軍が鷹狩《たかがり》の時、千住で小休みをする度毎《たびごと》に、緒方の家が御用を承わることに極《き》まっていた。花房の父があの家をがらくたと一しょに買い取った時、天井裏から長さ三尺ばかりの細長い箱が出た。蓋《ふた》に御鋪物《おんしきもの》と書いてある。御鋪物とは将軍の鋪物である。今は花房の家で、その箱に掛物が入れてある。
火事にも逢《あ》わずに、だいぶ久しく立っている家と見えて、頗《すこ》ぶる古びが附いていた。柱なんぞは黒檀《こくたん》のように光っていた。硝子《ガラス》の器を載せた春慶塗《しゅんけいぬり》の卓や、白いシイツを掩《おお》うた診察用の寝台《ねだい》が、この柱と異様なコントラストをなしていた。
この卓や寝台の置いてある診察室は、南向きの、一番広い間で、花房の父が大きい雛棚《ひなだな》のよう
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