次第に鋭くなる。彼は何も言わず、顔も上げずにいるが、彼の神経の情態が僕に感応して来るような気がする。彼の体が電気か何かの蓄積している物体ででもあるように感ぜられる。そして僕は次第に不安になって来た。
 僕は本を見ていても、台所の方で音がすれば、お蝶は何をしているのかと思う。呼べば直《すぐ》に来る。来るのは当りまえではあるが、呼ぶのを待っていたなと思う。夕かたになると暇乞をして勝手の方へ行く。そして下駄を穿《は》いて出て、戸を締める音がするまで、僕は耳を欹《そばだ》てている。そしてその間の時間が余り長いように思う。彼は帰り掛けて、僕の呼び戻すのを待っているのではないかと思う。僕の不安はいよいよ加わって来たのである。
 その頃僕はこんな事を思った。尾藤裔一は鋭敏な男ではない。しかし彼は父親の処にいる時も、伯父の処にいる時も、僕の内とは違う雰囲気の中に栖息《せいそく》していたのである。そこで一寸茶を持って出ただけのお蝶の態度を見て、何物かを発見したのではあるまいかと思った。
 或日お母様がお出なすった。僕は、もう向島は嫌になったから、小菅に帰ろうと思うと云った。お母様は、そんな事なら、何故葉書でもよこさなかったかと仰ゃる。僕は、切角手紙を出そうと思っていた処だと云った。実はお母様のお出なすったのを見て、急に思い附いたのである。僕はお母様に、お蝶と植木屋のものとに跡を片附けさせて帰って下さるように頼んで置いて、本を二三冊持って、ついと出て、小菅へ帰った。
 お蝶の精神か神経かの情態に、何か変ったことがあったかどうだか、恋愛が芽ざしていたか、性欲が動いていたか、それとも僕の想像が跡形もない事を描き出したのであったか、僕はとうとう知らずにしまった。

      *

 十九になった。
 七月に大学を卒業した。表向の年齢を見て、二十になったばかりで学士になるとは珍らしいと人が云った。実は二十にもなってはいなかった。とうとう女というものを知らずに卒業した。これは確に古賀と児島とのお蔭である。そして児島だけは、僕より年は上であったが、やはり女を知らなかったらしい。
 その当座宴会がむやみにある。上野の松源という料理屋がその頃盛であった。そこへ卒業生一同で教授を請待《しょうだい》した。
 数寄屋《すきや》町、同朋町《どうぼうちょう》の芸者やお酌が大勢来た。宴会で芸者を見たのはこれが始である。
 今でも学生が卒業する度に謝恩会ということがある。しかし今からあの時の事を思って見ると、客も芸者も風が変っている。
 今は学士になると、別に優遇はせられないまでも、ひどく粗末にもせられないようだ。あの頃は僕なんぞをば、芸者がまるで人間とは思っていなかった。
 あの晩の松源の宴会は、はっきりと僕の記憶に残っている。床の間の前に並んでいる教授がたの処へ、卒業生が交《かわ》る交《がわ》るお杯を頂戴しに行く。教授の中には、わざと卒業生の前へ来て胡坐《あぐら》をかいて話をする人もある。席は大分入り乱れて来た。僕はぼんやりしてすわっていると、左の方から僕の鼻の先へ杯を出したものがある。
「あなた」
 芸者の声である。
「うむ」
 僕は杯を取ろうとした。杯を持った芸者の手はひょいと引込んだ。
「あなたじゃあ有りませんよ」
 芸者は窘《たしな》めるように、ちょいと僕を見て、僕の右前の方の人に杯を差した。笑談《じょうだん》ではない。笑談を粧《よそお》ってもいない。右前にいたのは某教授であった。芸者の方には殆ど背中を向けて、右隣の人と話をしておられた。僕の目には先生の絽《ろ》の羽織の紋が見えていたのである。先生はやっと気が附いて杯を受けられた。僕がいくらぼんやりしていても、人の前に出した杯を横から取ろうとはしない。僕は羽織の紋に杯を差すものがあろうとは思い掛けなかったのである。
 僕はこの時忽ち醒覚《せいかく》したような心持がした。譬《たと》えば今まで波の渦巻の中にいたものが、岸の上に飛び上がって、波の騒ぐのを眺めるようなものである。宴会の一座が純客観的に僕の目に映ずる。
 教場でむつかしい顔ばかりしていた某教授が相好《そうごう》を崩して笑っている。僕のすぐ脇の卒業生を掴《つか》まえて、一人の芸者が、「あなた私の名はボオルよ、忘れちゃあ嫌よ」と云っている。お玉とでも云うのであろう。席にいただけのお酌が皆立って、笑談半分に踊っている。誰も見るものはない。杯を投げさせて受け取っているものがある。お酌の間へ飛び込んで踊るものがある。置いてある三味線を踏まれそうになって、慌《あわ》てて退《の》ける芸者がある。さっき僕にけんつくを食わせた芸者はねえさん株と見えて、頻《しき》りに大声を出して駈け廻って世話を焼いている。
 僕の左二三人目に児島がすわっている。彼はぼんやりしている。僕の醒覚前の態度と余り変っていないようだ。その前に一人の芸者がいる。締った体の権衡《けんこう》が整っていて、顔も美しい。若し眼窩《がんか》の縁を際立たせたら、西洋の絵で見る Vesta のようになるだろう。初め膳を持って出て配った時から、僕の注意を惹《ひ》いた女である。傍輩《ほうばい》に小幾《こいく》さんと呼ばれたのまで、僕の耳に留まったのである。その小幾が頻りに児島に話し掛けている。児島は不精々々に返詞をしている。聞くともなしに、対話が僕の耳に這入る。
「あなた何が一番お好」
「橘飩《きんとん》が旨い」
 真面目な返詞である。生年二十三歳の堂々たる美丈夫の返詞としては、不思議ではないか。今日の謝恩会に出る卒業生の中には、捜してもこんなのがいないだけは慥《たしか》である。頭が異様に冷《ひややか》になっていた僕は、間の悪いような可笑《おか》しいような心持がした。
「そう」
 優しい声を残して小幾は座を立った。僕は一種の興味を以て、この出来事の成行を見ている。暫くして小幾は可なり大きな丼《どんぶり》を持って来て、児島の前に置いた。それは橘飩であった。
 児島は宴会の終るまで、橘飩を食う。小幾はその前にきちんとすわって、橘飩の栗が一つ一つ児島の美しい唇の奥に隠れて行くのを眺めていた。
 僕は小幾が為めに、児島のなるたけ多くの橘飩を、なるたけゆっくり食わんことを祈って、黙って先へ帰った。
 後に聞けば、小幾は下谷第一の美人であったそうだ。そして児島は只この美人の※[#「敬」の下に「手」、73−14]《さ》げ来った橘飩を食ったばかりであった。小幾は今某政党の名高い政治家の令夫人である。

      *

 二十《はたち》になった。
 新しい学士仲間は追々口を捜して、多くは地方へ教師になりに行く。僕は卒業したときの席順が好いので、官費で洋行させられることになりそうな噂がある。しかしそれがなかなか極まらないので、お父様は心配してお出《いで》なさる。僕は平気で小菅の官舎の四畳半に寝転《ねころ》んで、本を見ている。
 遊びに来るものもめったに無い。古賀は某省の参事官になって、女房を持って、女房の里に同居して、そこから役所へ通っている。児島はそれより前に、大阪の或会社の事務員になって、東京を立った。それを送りに新橋へ行ったとき、古賀が僕に※[#「※」は「口に耳」、74−7]語《ささや》いだ。「僕のかかあになってくれるというものがあるよ。妙ではないか」これは謙遜したのではない。児島に比べては、余程世情に通じている古賀も、さすが三角同盟の一隅だけあって、無邪気なものである。僕は妙とも何とも思わなかった。
 僕にも縁談を持って来るものがある。お母様の考では、縦《たと》い洋行をさせられるにしても、妻は持って置く方が好いというのである。お父様には別に議論は無い。そこでお母様が僕にお勧なさるが、僕は生返詞をしている。お母様には僕の考が分らない。僕は又考はあっても言いたくない。言うにしても、頗る言いにくいような気がする。お母様は根気好くお尋なさる。僕は或日ついつい追い詰められて、こんな事を言った。
 妻というものを、どうせいつか持つことになるだろう。持つには嫌な奴では困る。嫌か好かをこっちで極めるのは容易である。しかし女だって嫌な男を持っては困るだろう。生んで貰った親に対して、こう云うのは、恩義に背くようではあるが、女が僕の容貌を見て、好だと思うということは、一寸想像しにくい。或は自知の明《めい》のあるお多福が、僕を見て、あれで我慢をするというようなことは無いにも限るまい。しかし我慢をしてくれるには及ばない。そんな事はこっちから辞退したい。そんなら僕の霊《たましい》の側はどうだ。余り結構な霊を持ち合わせているとも思わないが、これまで色々な人に触れて見たところが、僕の霊がそう気恥かしくて、包み隠してばかりいなければならないようにも思わない。霊の試験を受ける事になれば、僕だって必ず落第するとも思わない。さて結婚の風俗を見るに、容貌の見合はあるが、霊の見合は無い。その容貌の見合でさえ、媒《なかだち》をするものの云うのを聞けば、いつでも先方では見合を要せないと云っているということだ。女は好嫌を言わない。只こっちが見て好嫌を言えば好いというのだ。娘の親は売手で、こっちが買手ででもあるようだ。娘はまるで物品扱を受けている。羅馬《ロオマ》法にでも書いたら、奴隷と同じように、res としてしまわねばならない。僕は綺麗なおもちゃを買いに行く気はない。
 ざっとこう云うような事を、なるたけお母様に分るように説明して見た。お母様は、僕が霊では落第しないが、容貌では落第しそうだと云うのが、大不服である。「わたしはお前を片羽《かたわ》に産んだ覚えはない」と、憤慨に堪えないような口気で仰ゃる。これには僕もひどく恐縮せざることを得ない。それから男が女を択《えら》ぶように、女も男を択ぶのが、正当な見合であるということも、お母様は認めて下さらない。お母様の仰ゃるには、おお方そんな事を言うのは、男女同権とかいう話と同じ筋の話だろう。昔から町家の娘には、見合で壻《むこ》をことわるということがあった。侍の娘は男の魂を見込んで娵《よめ》に往くのだから、男の顔を見てかれこれ云う筈はない。それが日本ばかりの事であっても、好い事なら好いではないか。しかしお父様のお話を聞いたうちに、西洋の王様が家来を隣国へ遣《や》って娵を見させるという話があった。そうして見れば、西洋でも王様なんぞは日本流に娵を取られると見えると、こう仰ゃる。僕は、西洋の事なんぞは、なるたけ言わないようにしているのに、お母様に西洋の例を引いて弁じ附けられて、僕は少し狼狽《ろうばい》した。
 僕の方にはまだ言いたい事は沢山有ったが、この上|反駁《はんばく》を試みるのも悪いと思って、それきりにしてしまった。
 この話をして間もなく、お父様の心安くしていらっしゃる安中《あんなか》という医者が来て、或る大名華族の末家《まっけ》の令嬢を貰えと勧めた。令嬢は番町の一条という画家の内におられる。いつでも見せて遣るということである。お母様は例に依ってお勧なさる。
 僕はふと往って見る気になった。それが可笑しい。そのお嬢さんを見ようと思うのではなくて、見合というものをして見ようと思うのであった。少し無責任な事をしたようではあるが、僕はどんなお嬢さんでも貰わないと極めていた訣《わけ》ではない。貰う気になったら貰おうとだけは思っていたのである。
 三月頃でもあったか、まだ寒かった。僕は安中に連れられて、番町の一条の内へ行った。黒い冠木門《かぶきもん》のある陰気なような家であった。主人の居間らしい八畳の間に通された。安中と火鉢を囲んで雑談をしていると、主人が出て逢われた。五十ばかりの男で、磊落《らいらく》な態度である。画の話なぞをする。暫くして奥さんが令嬢を連れて出られた。
 主人夫婦は色々な話をして座を持っておられる。ゆっくり話して行け、酒を飲むなら酒を出そうかと云う。僕は酒は飲まないと云う。主人がそんなら何を御馳走しようかと云って、首を傾ける。その頃僕は齲歯《むしば》に悩まされていて、内ではよく蕎麦掻《そばがき》を食っていた。そ
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