ある。性欲的ではない。しかし性という字があまり多義だから、不本意ながら欲の字を添えて置く。さて教育の範囲内で、性欲的教育をせねばならないものだろうか、せねばならないとしたところで、果してそれが出来るだろうかというのが問題である。或会で教育家を一人、宗教家を一人、医学者を一人と云う工合に、おのおのその向の authority とすべき人物を選んで、意見を叩いたのが、この報告になって出たのである。然るに三人の議論の道筋はそれそれ別であるが、性欲的教育は必要であるか、然り、做《な》し得らるるであろうか、然りという答に帰着している。家庭でするが好いという意見もある。学校でするが好いという意見もある。とにかく為《す》るが好い、出来ると決している。教える時期は固《もと》より物心が附いてからである。婚礼の前に絵を見せるという話は我国にもあるが、それを少し早めるのである。早めるのは、婚礼の直前《すぐまえ》まで待っては、その内に間違があるというのである。話は下級生物の繁殖から始めて、次第に人類に及ぶというのである。初に下級生物を話すとはいうが、唯《ただ》植物の雄蕋雌蕋《ゆうずいしずい》の話をして、動物も
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