ない。裁判の記録や、医者の書いたものに、多少の材料はある。しかしそれは多く性欲の変態ばかりである。Rousseau の懺悔記《ざんげき》は随分思い切って無遠慮に何でも書いたものだ。子供の時教えられた事を忘れると、牧師のお嬢さんが掴《つか》まえてお尻を打つ。それが何とも云えない好い心持がするので、知ったことをわざと知らない振をして、間違った事を言ったり何かして、お嬢さんに打って貰った。ところが、いつかお嬢さんが情を知って打たなくなったなどということが書いてある。これは性欲の最初の発動であって、決して初恋ではない。その外、青年時代の記事には性欲の事もちょいちょい見えている。しかし性欲を主にして書いたものではないから飽き足らない。Casanova は生涯を性欲の犠牲に供したと云っても好い男だ。あの男の書いた回想記は一の大著述であって、あの大部な書物の内容は、徹頭徹尾性欲で、恋愛などにまぎらわしい処はない。しかし拿破崙《ナポレオン》の名聞心《みょうもんしん》が甚だしく常人に超越している為めに、その自伝が名聞心を研究する材料になりにくいと同じ事で、性欲界の豪傑 Casanova の書いたものも、
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