に行く。壱岐坂《いきざか》時代の修行が大いに用立つ。
八月二十四日に横浜で舟に乗った。とうとう妻を持たずに出立したのである。
*
金井君は或夜ここまで書いた。内じゅうが寝静まっている。雨戸の外は五月雨《さみだれ》である。庭の植込に降る雨の、鈍い柔な音の間々《あいだあいだ》に、亜鉛《あえん》の樋《とい》を走る水のちゃらちゃらという声がする。西片町の通は往来《ゆきき》が絶えて、傘を打つ点滴も聞えず、ぬかるみに踏《ふ》み込む足駄も響かない。
金井君は腕組をして考え込んでいる。
先ず書き掛けた記録の続きが、次第もなく心に浮ぶ。伯林《ベルリン》の Unter den Linden を西へ曲った処の小さい珈琲《コォフイィ》店を思い出す。Cafe[#「e」にはアクサンが付く] Krebs である。日本の留学生の集る処で、蟹屋《かにや》蟹屋と云ったものだ。何遍行っても女に手を出さずにいると、或晩一番美しい女で、どうしても日本人と一しょには行かないというのが、是非金井君と一しょに行くと云う。聴かない。女が癇癪《かんしゃく》を起して、melange[#最初の「e」にはアクサンが付く
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