いる。
 十一時半頃になった。女中がお車が揃《そろ》いましたと云って来た。揃いましたは変だとは思ったが、左程《さほど》気にも留めなかった。霽波が先に立って門口に出て車に乗る。安斎も僕も乗る。僕は「大千住の先の小菅だよ」と車夫に言ったが、車夫は返詞をせずに梶棒《かじぼう》を上げた。
 霽波の車が真先に駈け出す。次が安斎、殿《しんがり》が僕と、三台の車が続いて、飛ぶように駈ける。掛声をして、提灯《ちょうちん》を振り廻して、御成道《おなりみち》を上野へ向けて行く。両側の店は大抵戸を締めている。食物店の行燈《あんどん》や、蝋燭なんぞを売る家の板戸に嵌《は》めた小障子に移る明りが、おりおり見えて、それが逆に後へ走るかと思うようだ。往来の人は少い。偶々《たまたま》出逢う人は、言い合せたように、僕等の車を振り向いて見る。
 車はどこへ行くのだろう。僕は自分の経験はないが、車夫がどこへ行くとき、こんな風に走るかということは知っている。
 広小路を過ぎて、仲町へ曲る角の辺に来たとき、安斎が車の上から後に振り向いて、「逃げましょう」と云った。安斎の車は仲町へ曲った。
 安斎は遺伝の痼疾《こしつ》を持ってい
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