こで、御近所に蕎麦の看板があったから、蕎麦掻を御馳走になろうと云った。主人がこれは面白い御注文だと云って笑う。奥さんが女中を呼んで言い付ける。
 令嬢はこの時まで奥さんの右の方に、大人しくすわって、膝に手を置いておられた。ふっくりした丸顔で、目尻が少し吊り上がっている。俯向《うつむ》かないで、正面を向いていて、少しもわるびれた様子がない。顔にはこれという表情もなかった。それが蕎麦掻の注文を聞いて、思わずにっこり笑った。
 僕は蕎麦掻の注文をしてしまって、児島の橘飩《きんとん》にも譲らないと思って、ひとりで可笑《おかし》がった。暫くは蕎麦の話が栄える。主人も蕎麦掻は食べる。ある時病気で、粒立った物が食えないので、一月も蕎麦掻ばかり食っていたと云う。奥さんが、あの時はほんとに呆《あき》れたと云って、気が附いて僕にあやまる。
 僕は蕎麦掻を御馳走になって帰った。主人夫婦に令嬢も附いて、玄関まで送られた。
 帰道に安中が決答を促したが、僕は何とも云うことが出来ない。それは自分でも分らないからである。僕はお嬢さんを非常な美人とは思わない。しかし随分立派なお嬢さんだとは思っている。品格はたしかに好
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