ったのだそうだが、大きな顔の上に小さい島田髷が載っている工合は随分可笑しい。
 飯の時にはお蝶がお給仕をする。僕はその様子を見て、どうしても蝶ではなくて蛾《が》の方だなどと思っている。見るともなしに顔を見る。少し竪《たて》に向いて附いた眉の下に、水平な目があるので、内眦《めがしら》の処が妙にせせこましくなっている。俯向《うつむ》いてその目で僕を見ると、滑稽を帯びた愛敬がある。
 お蝶は好く働く。僕は飯の時に給仕をさせるだけで、跡は何をしていようと構わない。お菜は何にしましょうと云って来ると、何でも好いから、お前の内で拵《こしら》えるような物を拵えろと云う。そんな風で二週間程立った。
 或日今年は親類の内に往っていると聞いていた尾藤裔一が来た。僕は学科の本に読み厭《あ》きていたので、喜んで話しかけたが、裔一はひどく萎《しお》れている。僕は不審に思った。
「君どうかしているようじゃないか」
「僕は本科に這入《はい》ることは廃《や》めた」
「どうして」
「実は君には逢わずに国へ立ってしまおうと思ったのだ。ところが、親父《おやじ》に暇乞《いとまごい》に来て聞けば、君がいるというので、つい逢いたくなって遣って来た」
 お蝶が茶を持って出た。裔一は茶を一息に飲んで話を続けた。裔一の学資は父親の手から出ていない。木挽町《こびきちょう》に店を出している伯父が出していたのである。その伯父の所帯が左前になったので、いよいよ廃学をしなくてはならないようになった。そこで国へ帰って小学校の教員でもしようかと思っている。しかし教員になるにしても、その旁《かたわら》何か遣りたい。西洋の学問をするには、素養が不十分な上に、新しい本を買うのは容易でない。そこで一時の凌《しの》ぎにと云って、伯父の出してくれた金の大部分は漢籍にしてしまった。それを持って国へ引込んで読むというのである。
 僕は気の毒でたまらなかった。しかし何とも言いようがない。意味のない慰めなんぞを言うと、裔一は怒り兼ない。為方《しかた》なしに黙っていた。
 間もなく裔一は帰ると云った。そして立ちそうにして立たずに、頗《すこぶ》る唐突にこんな事を言い出した。
「僕の伯父の立ち行かなくなったのは、元はおばの為めだ」
「おばさんはどんな人なんだ」
「伯父が一人でいたときの女中だ」
「ふむ」
「それがどうしても離れないのだ。女房に内助なんとい
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