配なので、あるとき向島の内から、短刀を一本そっと持って来て、懐《ふところ》に隠していた。
 二月頃に久しく天気が続いた。毎日学課が済むと、埴生と運動場へ出て遊ぶ。外の生徒は二人が盛砂の中で角力《すもう》を取るのを見て、まるで狗児《ちんころ》のようだと云って冷かしていた。やあ、黒と白が喧嘩《けんか》をしている、白、負けるななどと声を掛けて通るものもあった。埴生と僕とはこんな風にして遊んでも、別に話はしない。僕は貸本をむやみに読んで、子供らしい空想の世界に住している。埴生は教場の外ではじっとしていない性《たち》なので、本なぞは読まない。一しょに遊ぶと云えば、角力を取る位のものであった。
 或る寒さの強い日の事である。僕は埴生と運動場へ行って、今日は寒いから駆競《かけくら》にしようというので、駈競をして遊んで帰って見ると、鰐口の処へ、同級の生徒が二三人寄って相談をしている。間食の相談である。大抵間食は弾豆か焼芋で、生徒は醵金《きょきん》をして、小使に二銭の使賃を遣って、買って来させるのである。今日はいつもと違って、大いに奢《おご》るというので、盲汁《めくらじる》ということをするのだそうだ。てんでに出て何か買って来て、それを一しょに鍋に叩き込んで食うのである。一人の男が僕の方を見て、金井はどうしようと云った。鰐口は僕を横目に見て、こう云った。
「芋を買う時とは違う。小僧なんぞは仲間に這入《はい》らなくても好い」
 僕は傍《わき》を向いて聞かない振をしていた。誰を仲間に入れるとか入れないとか云って、暫《しばら》く相談していたが、程なく皆出て行った。
 鰐口の性質は平生《へいぜい》知っている。彼は権威に屈服しない。人と苟《いやしく》も合うという事がない。そこまでは好い。しかし彼が何物をも神聖と認めない為めに、傍《はた》のものが苦痛を感ずることがある。その頃僕は彼の性質を刻薄だと思っていた。それには、彼が漢学の素養があって、いつも机の上に韓非子《かんぴし》を置いていたのも、与《あずか》って力があったのだろう。今思えば刻薄という評は黒星に中《あた》っていない。彼は cynic なのである。僕は後に Theodor Vischer の書いた Cynismus を読んでいる間、始終鰐口の事を思って読んでいた。Cynic という語は希臘の kyon 犬という語から出ている。犬学などという
前へ 次へ
全65ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング