田へとてにはあらざるべし。きょう今までの座敷《ざしき》より本店のかたへ遷《うつ》る。ここは農夫の客に占《し》められたりしがようやく明《あ》きしなり。隣《となり》の間《ま》に鬚《ひげ》美《うるわ》しき男あり、あたりを憚《はばか》らず声高《こえたか》に物語するを聞くに、二言《ふたこと》三言《みこと》の中に必ず県庁《けんちょう》という。またそれがこの地のさだめかという代りに「それがこの鉱泉《こうせん》の憲法《けんぽう》か」などいう癖《くせ》あり。ある時はわが大学に在りしことを聞知《ききし》りてか、学士《がくし》博士《はかせ》などいう人々|三文《さんもん》の価《あたい》なしということしたり顔《がお》に弁《べん》じぬ。さすがにことわりなきにもあらねど、これにてわれを傷《きづつ》けんとおもうは抑《そも》迷《まよい》ならずや。おりおり詩歌《しか》など吟《ぎん》ずるを聞くに皆|訛《なま》れり。おもうにヰルヘルム、ハウフ[#「ヰルヘルム、ハウフ」に傍線]が文に見えたる物学びし猿《さる》はかくこそありけめ。唯彼猿はそのむかしを忘《わす》れずして、猶亜米利加の山に栖《す》める妻の許《もと》へふみおくりしなど
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