るも疾うから、お徳さんなぞのやうにけちなことは私はせぬ、私の心を打ち開けた上で、清さんは何とおいひか知らねど、嫌とならそれまでの事、万に一つも聞いてもらはれたら、それから先は清さんの心次第、お前の親切に絆《ほだ》されて一旦かうはなつたれど、それでは小花に義理が立たぬ、これきり思ひ切れとなら、思ひ切つて小花さんに立派に謝《あやま》る分《ぶん》のこと、清さんに限つて小花さんを私《わたし》に見変へるといふはずはなけれど、さうなれば私は命も何も入《い》りませぬ、それぢや命掛といふのだね、凄《すご》い話になつて来た、己なんぞの目ぢやあ、色の浅黒い痩《やせ》つぽちの小花より女は遙《はるか》兼ちやんが上だ、清こうは慥《たし》か二十五でお前には一つ二つの弟、可哀《かあい》がられて夢中になつた日には小花には気の毒なれど、呼ぶだけは己が呼ぶ、跡は兼吉つあんの腕次第だと、座を外《はず》してゐた女を呼んで使の事を頼めば、銚子《ちょうし》持つて立出づる廊下の摩《す》れ違《ちが》ひさま、兼吉ねえさんが、ああ下で聞いてよと入り来るはお万なり、髪は文金《ぶんきん》帷子《かたびら》は御納戸地《おなんどぢ》に大名縞《だいみょうじま》といふ拵《こしらえ》、好《よ》く稼《かせ》ぐとは偽《うそ》か真《まこと》か、肉置《ししおき》善き体ながらどちらかといへば面長《おもなが》の方なるに、杯洗《はいせん》の上に俯《うつむ》いてどつちが円いかしらなどとはどういふ心か、荻江の文子《ふみこ》さんが来て、小竹《こたけ》も梅子《うめこ》も内に遊んでゐましたといふに、そんなら呼べと座は遽《にわか》に賑《にぎや》かになりぬ、三谷が梅子に可哀さうに風を引いてゐるといへば、お万引き取りて、この子の寝ざうといつたらございませぬ、それに幾らねんねでも、先刻《さっき》も文子さんが遊びに来ると、鼻をかまうかしらと相談してと笑ふ、三谷色気がない内が妙だといへば、兼吉がそこ処《どこ》は受け合はれませぬ、竹ちやんが岡惚帳《おかぼれちょう》拵《こしら》へれば、いいえあら嫌なんてつたつて話すわ、梅ちやんも人真似をして、ためになるお客の上には大の字、気に入つたお客の上には上の字が幾つも重ねて附けてあるといふ、三谷|己《おれ》の名は上の字が十ばかりあるはずとからかへば、沢山附いてますと笑ふは痩ぎすの小竹、あら大の字の方だわと正直にいふは靨《えくぼ》の梅
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング