て二人が夫婦になったところが、るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にし、七十八歳になる夫の祖母にも、血を分けたものも及ばぬ程やさしくするので、伊織は好い女房を持ったと思って満足した。それで不断の肝癪は全く迹《あと》を斂《おさ》めて、何事をも勘弁するようになっていた。
 翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家《しゅうけ》のその時の当主松平|石見守乗穏《いわみのかみのりやす》が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入《い》った。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになったのである。
 この大番と云う役には、京都二条の城と大坂の城とに交代して詰めることがある。伊織が妻を娶《めと》ってから四年立って、明和八年に松平石見守が二条在番の事になった。そこで宮重七五郎が上京しなくてはならぬのに病気であった。当時は代人差立《だいにんさしたて》と云うことが出来たので、伊織が七五郎の代人として石見守に附いて上京することになった。伊織は、丁度|妊娠《にんしん》して臨月になっているるんを江戸に残して、明和八年四月に京都へ立った。
 伊織は京都でその年の夏を無事に勤めたが、秋
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