ニ、信仰もなくしてしまい、宗教の必要をも認めなくなってしまって、それを正直に告白している人のあることも、或る種類の人の言論に徴《ちょう》して知ることが出来る。倅はそう云う人は危険思想家だと云っているが、危険思想家を嗅《か》ぎ出すことに骨を折っている人も、こっちでは存外そこまでは気が附いていないらしい。実際こっちでは、治安妨害とか、風俗壊乱とか云う名目《みょうもく》の下《もと》に、そんな人を羅致《らち》した実例を見たことがない。しかしこう云うことを洗立《あらいだて》をして見た所が、確《しか》とした結果を得ることはむずかしくはあるまいか。それは人間の力の及ばぬ事ではあるまいか。若《も》しそうだと、その洗立をするのが、世間の無頓著よりは危険ではあるまいか。倅もその危険な事に頭を衝《つ》っ込んでいるのではあるまいか。倅は専門の学問をしているうちに、ふとそう云う問題に触れて、自分も不安になったので、己に手紙をよこしたかも知れぬ。それともこの問題にひどく重きを置いているのだろうか。
五条子爵は秀麿の手紙を読んでから、自己を反省したり、世間を見渡したりして、ざっとこれだけの事を考えた。しかしそれに
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