のが、今になつてはちつとも船に当らないのでございます。風はこゝまでは参りません。なぜといふにあなたも先刻御覧になつたやうに、渦巻の縁の波頭の帯は、あたりまへの海面よりは余程低いのでございます。あたりまへの海は高い、真黒な山の背の様に、背後《うしろ》に立つてゐるのでございます。あなた方のやうに、海でひどい暴風《あらし》なんぞに逢つたことのないお方は、風があたつて波のしぶきを被せられるので、どの位気が狂ふものだといふことを、御存じないだらうと存じます。波のしぶきに包まれて物を見ることも、物を聞くことも出来なくなりますと、半分窒息し掛かるやうな心持になりまして、何を考へようにも、何をしようにも、気力が無くなつてしまふものでございます。さういふうるさい心持が、このときあらかた無くなつてしまつたのでございますね。譬へて見ますると、今迄牢屋に入れて置いて、どういふ処分になるか知れなかつた罪人に、愈々死刑を宣告してしまふと、役人も多少その人を楽な目に逢はせてやるやうにしますが、まあ、あんなものでございますね。」
「わたくし共は波頭の帯の所を何遍廻つたか知りません。なんでも一時間位は走つてゐました。滑
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