法螺を吹くやうでございますが、全く本当の事でございます。わたくしはこんなことを考へました。かうして死ぬるのは実に強気《がうぎ》な死にやうだと存じました。神のお定め下すつた、こんな運命に出逢つてゐて、自分一人の身の上の小利害なんぞを考へるのは、余り馬漉らしいことだと存じました。わたくしはなんでもさう思つたとき恥かしくなつて、顔を赧くしたかと存じます。」
「暫く致してわたくしは、一体この渦巻がどんなものだか知りたいと思ふ好奇心を起したのでございます。わたくしは自分の命を犠牲にして、この渦巻の深さを捜つて見たいと思ふ希望を、はつきり感じたのでございます。そこで、自分は今恐ろしい秘密を見る事が出来るのだが、それを帰つて行つて、岸の上に住んでゐる友達に話して聞かせることの出来ないのが、如何にも遺憾だと思ひました。今死ぬのだらうといふ人間の考としては、こんな考は無論不似合で可笑しいには違ひございません。跡で思つて見れば、渦巻の入口で、何遍も船がくる/\廻つたので、少し気が変になつてゐたかも知れません。」
「それにわたくしが気を落ち着けた原因が、今一つあるのでございます。これ迄うるさかつた風といふも
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