やつたのでございますが、考へて見る余裕があつたとしても、さうするより外にしやうはなかつたのでございます。勿論余り驚いたので、考へて見た上にどうするといふやうな余裕はなかつたのでございます。」
「さつきも申しました通り、数秒時間、わたくし共はまるで波を被つてをりました。わたくしは息を屏《つ》めて鐶に噛り付いてゐました。そこで、も少しで窒息しさうになりましたので、わたくしは手を放さずに膝を衝いて起き上がつて見ました。それでやつと頭だけが水の外に出ました。丁度そのとき船がごつくりと海面に押し出されるやうに浮きました。譬へて見れば、水に漬けられた狗が頭を水から出すやうな工合でございました。わたくしは気の遠くなつたのを出来るだけ取り直して、どうしたが好いといふ思案を極めようと思ひました。そのときわたくしの臂を握つたものがあります。それは兄きでございました。わたくしは、もうとつくの昔兄きは船から跳ね出されたものだと思つてゐましたから、この刹那にひどく嬉しく思ひました。併しその嬉しいと思つたのは、ほんの一刹那だけで、忽然わたくしの喜びは非常な恐怖に変じてしまひました。それは兄きがわたくしの耳に口を寄
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