ムの中心の深さは、こんな尺度よりは余程深くなくてはならない。かういふのに別に証拠はいらない筈である。ヘルセツゲンの山の巓から渦巻の漏斗《じやうご》の底を、横に見下ろしたゞけでそれ丈の事は知れるのである。
 僕はヘルセツゲンの山の巓から、この吠えてゐるフレゲトン、あの古い言ひ伝へにある火の流れのやうなこの潮流を見下ろしたとき、覚えず愚直なヨナス・ラムス先生が、さも信用し難い事を書くらしい筆附きで、鯨や熊の話を書いた心持の、無邪気さ加減を想像して、笑ふまいと思つても、笑はずにはゐられないやうな心持がしたのである。僕の見た所では、仮令《たとひ》最も大きい戦闘艦でも、この恐ろしい引力の範囲内に這入つた以上は、丁度一片の鳥の羽が暴風《あらし》に吹きまくられるやうに、少しの抗抵をもすることなしに底へ引き入れられてしまつて、人も鼠も命を落さなくてはならないといふことが、知れ切つてゐるのである。
 この現象を説明しようと試みた人は色々ある。僕は嘗てその二三を読んで見て、成程さうもあらうかと思つたことがある。併し実際を見たときは、そんな説明が、どうも役に立たないやうに思つた。或る人はこんな風に説明してゐ
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