、「カッフェエ・ミネルワ」といふ店に入りて、珈琲《カッフェー》のみ、酒くみかはしなどして、おもひおもひの戯《たわぶれ》す。こよひも瓦斯燈《ガスとう》の光、半ば開きたる窓に映じて、内には笑ひさざめく声聞ゆるをり、かどにきかかりたる二人あり。
 先に立ちたるは、かち色の髪《かみ》のそそけたるを厭《いと》はず、幅広き襟飾《えりかざり》斜《ななめ》に結びたるさま、誰《た》が目にも、ところの美術|諸生《しょせい》と見ゆるなるべし。立《た》ち住《どま》りて、後《あと》なる色黒き小男に向ひ、「ここなり」といひて、戸口をあけつ。
 先づ二人が面《おもて》を撲《う》つはたばこの烟《けぶり》にて、遽《にわか》に入りたる目には、中《なか》なる人をも見わきがたし。日は暮れたれど暑き頃なるに、窓|悉《ことごと》くあけ放《はな》ちはせで、かかる烟の中に居るも、習《ならい》となりたるなるべし。「エキステルならずや、いつの間にか帰りし。」「なほ死なでありつるよ。」など口々に呼ぶを聞けば、彼《かの》諸生はこの群《むれ》にて、馴染《なじみ》あるものならむ。その間、あたりなる客は珍らしげに、後につきて入来《いりきた》れる男
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