入れむとて伴《ともな》ひたるは、巨勢《こせ》君とて、遠きやまとの画工なり。」とエキステルに紹介せられて、随来《したがいき》ぬる男の近寄りて会釈《えしゃく》するに、起《た》ちて名告《なの》りなどするは、外国人《とつくにびと》のみ。さらぬは坐したるままにて答ふれど、侮《あなど》りたるにもあらず、この仲間の癖《くせ》なるべし。
 エキステル、「わがドレスデンなる親族《みうち》訪《たず》ねにゆきしは人々も知りたり。巨勢君にはかしこなる画堂にて逢ひ、それより交《まじわり》を結びて、こたび巨勢君、ここなる美術学校に、しばし足を駐《とど》めむとて、旅立ち玉ふをり、われも倶《とも》にかへり路《じ》に上りぬ。」人々は巨勢に向ひて、はるばる来《き》ぬる人と相識《あいし》れるよろこびを陳《の》べ、さて、「大学にはおん国人《くにびと》も、をりをり見ゆれど、美術学校に来たまふは、君がはじめなり。けふ着きたまひしことなれば、『ピナコテエク』、また美術会の画堂なども、まだ見玉はじ。されどよそにて見たまひし処にて、南|独逸《ドイツ》の画《え》を何とか見たまふ。こたび来たまひし君が目的は奈何《いかに》。」など口々に問ふ。マリイはおしとどめて、「しばししばし、かく口を揃《そろ》へて問はるる、巨勢君とやらむの迷惑、人々おもはずや。聞かむとならば、静まりてこそ。」といふを、「さても女主人《おみなあるじ》の厳しさよ、」と人々笑ふ。巨勢は調子こそ異様《ことざま》なれ、拙《つたな》からぬ独逸語にて語りいでぬ。
 「わがミュンヘンに来《こ》しは、このたびを始《はじめ》とせず。六年《むとせ》前にここを過ぎて、索遜《ザクセン》にゆきぬ。そのをりは『ピナコテエク』に懸けたる画を見しのみにて、学校の人々などに、交を結ぶことを得ざりき。そは故郷を出でし時よりの目あてなるドレスデンの画堂へ往《ゆ》かむと、心のみ急がれしゆゑなり。されど再びここに来て、君らがまとゐに入ることとなりし、その因縁《いんねん》をば、早く当時に結びぬ。」
 「大人気《おとなげ》なしといひけたで聞き玉へ。謝肉[#「謝肉」の右に《しゃにく》、左に《カルネワル》とルビ、42−14]の祭、はつる日の事なりき。『ピナコテエク』の館《やかた》出でし時は、雪いま晴れて、街《ちまた》の中道《なかみち》なる並木の枝は、一《ひと》つ一《びと》つ薄き氷にてつつまれたるが、今
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