向うに押し遣って、高い山からまた一括の書類を卸した。初のは半紙の罫紙《けいし》であったが、こん度のは紫板《むらさきばん》の西洋紙である。手の平にべたりと食っ附く。丁度|物干竿《ものほしざお》と一しょに蛞蝓《なめくじ》を掴《つか》んだような心持である。
 この時までに五六人の同僚が次第に出て来て、いつか机が皆|塞《ふさ》がっていた。八時の鐸《たく》が鳴って暫くすると、課長が出た。
 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少し隔たった処に立って、課長のゆっくり書類をportefeuille《ポルトフョイユ》から出して、硯箱《すずりばこ》の蓋《ふた》を取って、墨を磨《す》るのを見ている。墨を磨ってしまって、偶然のようにこっちへ向く。木村よりは三つ四つ歳の少い法学博士で、目附鼻附の緊《し》まった、余地の少い、敏捷《びんしょう》らしい顔に、金縁の目金を掛けている。
「昨日お命じの事件を」と云いさして、書類を出す。課長は受け取って、ざっと読んで見て、「これで好い」と云った。
 木村は重荷を卸したような心持をして、自分の席に帰った。一度出して通過しない書類は、なかなか二
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