サンシュウル》の可笑《おか》しい程厳しいウィインやベルリンで、書籍としての発行を許しているばかりではない、舞台での興行を平気でさせている、頗る甘い脚本であった。
 しかしそれは三面記者の書いた事である。木村は新聞社の事情には※[#「※」は「目」+「薨」の「死」に代えて「目」」、121‐8]《くら》いが、新聞社の芸術上の意見が三面にまで行き渡っていないのを怪みはしない。
 今読んだのはそれとは違う。文芸欄に、縦令《たとい》個人の署名はしてあっても、何のことわりがきもなしに載せてある説は、政治上の社説と同じようなもので、社の芸術観が出ているものと見て好《よ》かろう。そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与《あずか》っている雑誌の作品にも情調がないと云うのは、木村に文芸が分からないと云うのである。文芸の分からないものに、なんで脚本を選ばせるのだろう。情調のない脚本が当選したら、どうするだろう。そんな事をして、応募した作者に済むか。作者にも済むまいが、こっちへも済むまいと、木村は思った。
 木村は悪い意味でジレッタントだと云われているだけに、そんな目に逢《あ》って、面白くもない物を読まないでも、生活していられる。兎《と》に角《かく》この一山《ひとやま》を退治ることは当分御免を蒙《こうむ》りたいと思って、用箪笥の上へ移したのである。
 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。
 隣の間では、本能的掃除の音が歇《や》んで、唐紙が開いた。膳《ぜん》が出た。
 木村は根芋の這入《はい》っている味噌汁《みそしる》で朝飯を食った。
 食ってしまって、茶を一杯飲むと、背中に汗がにじむ。やはり夏は夏だと、木村は思った。
 木村は洋服に着換えて、封を切らない朝日を一つ隠しに入れて玄関に出た。そこには弁当と蝙蝠傘《こうもりがさ》とが置いてある。沓《くつ》も磨いてある。
 木村は傘をさして、てくてく出掛けた。停留場までの道は狭い町家続きで、通る時に主人の挨拶《あいさつ》をする店は大抵極まっている。そこは気を附けて通るのである。近所には木村に好意を表していて、挨拶などをするものと、冷澹《れいたん》で知らない顔をしているものとがある。敵対の感じを持っているものはないらしい。
 そこで木村はその挨拶をする人は、どんな心持でいるだろうかと推察して見る。先ず小説なぞを書くものは変人だとは確かに思っている。変人と思うと同時に、気の毒な人だと感じて、protege[#「e」は全てアクサン(´)付き]《プロテジェエ》にしてくれるという風である。それが挨拶をする表情に見えている。木村はそれを厭《いや》がりもしないが、無論|難有《ありがた》くも思っていない。
 丁度近所の人の態度と同じで、木村という男は社交上にも余り敵を持ってはいない。やはり少し馬鹿《ばか》にする気味で、好意を表していてくれる人と、冷澹に構わずに置いてくれる人とがあるばかりである。
 それに文壇では折々退治られる。
 木村はただ人が構わずに置いてくれれば好いと思う。構わずにというが、著作だけはさせて貰いたい。それを見当違に罵倒《ばとう》したりなんかせずに置いてくれれば好いと思うのである。そして少数の人がどこかで読んで、自分と同じような感じをしてくれるものがあったら、為合《しあわ》せだと、心のずっと奥の方で思っているのである。
 停留場までの道を半分程歩いて来たとき、横町から小川という男が出た。同じ役所に勤めているので、三度に一度位は道連《みちづれ》になる。
「けさは少し早いと思って出たら、君に逢った」と、小川は云って、傘を傾けて、並んで歩き出した。
「そうかね。」
「いつも君の方が先きへ出ているじゃあないか。何か考え込んで歩いていたね。大作の趣向を立てていたのだろう。」
 木村はこう云う事を聞く度に、くすぐられるような心持がする。それでも例の晴々とした顔をして黙っている。
「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。」
「見た。風俗を壊乱する芸術と官吏服務規則とは調和の出来ようがないと云うのだろう。」
「なるほど、風俗壊乱というような字があったね。僕はそうは取らなかった。芸術と官吏というだけに解したのだ。政治なんぞは先ず現状のままでは一時の物で、芸術は永遠の物だ。政治は一国の物で、芸術は人類の物だ。」小川は省内での饒舌家《じょうぜつか》で、木村はいつもうるさく思っているが、そんな素振《そぶり》はしないように努めている。先方は持病の起ったように、調子附いて来た。「しかし、君、ルウズウェルトの方々で遣《や》っている演説を読んでいるだろうね。あの先生が口で言っているように行けば、政治も一時だけの物ではない。一国ば
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