た新米議員の半田房之助がのこのこやって来た。炉の前へ近づくのを待ちかねて、
「おい、君は何かい、昨夜か、一昨夜か知らねえが、こぶ[#「こぶ」に傍点]の家へ集まったか。」
「ひまち[#「ひまち」に傍点]にか――」
「何か知らねえが、予算会議はこぶ[#「こぶ」に傍点]の私邸[#「私邸」に傍点]であったらしい。」
「へえ、俺は知らんね。日まちにちょっと顔を出したが、――沢屋がわざわざ招びに来たもんだから……」
「へえ、沢屋の野郎が、招びに……」
「君のところへは。」
「来たっけが、別に招ばなかったな。」
「いや、あれが、つまり、その……らしい。」
「畜生、ひとを馬鹿にしてらア――」
ようやくのことで――もう昼近い――二三の村議連がやって来たので、それ以上、田辺は言わなかったが、心の中では、……
そしてやがて瘤もやって来た。が、田辺や半田には眼もくれず、「謄写は出来たか。……ああ、そう、では、慎重に、研究しておいてくれ、俺はもう出かけなくちゃア……」
田辺はぐいと村長をにらんで、
「村長、今日も、またお出かけですか。」
「ああ、重大な用事があって……いや、どうも身体が二つあっても足りはせん。」
「予算の討議は――」
「明日にでもやろう。」
ぐん[#「ぐん」に傍点]と突っぱねて、肩で事務室への扉をあけ、のっしのっしと出てしまった。
田辺はますます焦れたが、取りつく島はなかった。他の村議たちは、こぶがいなくなると、もう小使に酒を出させて、例のごとくちびりちびり……である。
六
さて、翌くる日、割合に早くやって来た瘤は自派の村議と村長室で何かひそひそやっていたが、やがて、「今日は会議室でやっぺ、みんな、どうだ、そろそろ……」と言いながら、自分から先に立って二階へあがって行った。
それが何となく仰々しかったが、田辺定雄は少しも意外ではなかったのである。何となれば彼はうかうかしていると何らの発言する機会も与えられず、肝心の予算案を、そのまま通されてしまうらしい気配を感じて(しかも、聞けばそういうのが例年のやり方だったともいう)そこで彼は本式に質問し、修正を申込みたいことを助役へ申出ておいたのである。
席につくと村長は大きな瘤をさらに大きく張ってどかりと正面の椅子につき、「にが虫をかみつぶしたような」という形容詞があるが、それがそっくり当てはまるような面構えで、むっつりと壁面かどこかを睨まえている。
「本年度の予算案について、田辺君から修正したい点があるそうで……」と杉谷助役が村長の傍の椅子へかけるや否や、少しく無雑作にやり出した。そして、「田辺君……」ちょいと眼で。「だいたい――」田辺は自席から、「他村なんかに比し、本村の公課負担は重すぎる傾向があるようだが、――たとえば舟車税付加というようなものに見ても、他村では本税の二三割しか付加していない。しかるに本村では八九割もかけている。――それからもっとも大きな問題は特別税戸数割で、これは本村では、収入一円につき二銭三厘云々……というような賦課率になっているが、こういう点、もう少し村民の負担を軽くしてやることは出来ないものだろうか、と考えるのだが……」
「どういう根拠で君はそんなことを言う。」と村長が不意に威嚇するような声を出した。
「どういう根拠……といって別に……」
「棍拠がない。では単に反対するために反対するのか……」
「いや、根拠がないというわけではないが。」
「では、それを言って見たまえ。」
「つまり……その……村民の生活程度というものは……」
「それが根拠か。君は村民が一年間にどれだけの酒を飲み、煙草をふかすか知っているか。この村に何軒の酒屋があって、何石の酒が売れるか知っているか。」
田辺はぐっと詰まってしまった。
「知っているか。」と村長はたたみかける。
「さア、そいつはまだ……」
「何がまだだ……そいつも知らぬくせに、何が村民の生活だ。」
「しかし――」と田辺はどっきどっきと打つ胸を強いて抑えて、「予算を見ると、節約すべき項目は随分あるように思う。たとえば会議費……」
「君らにそんなことを言われなくたって、節約すべきものは全部節約している。」
「しかし……」
「何がしかしだ。この予算に一銭でも無駄があるか。乏しい歳入に対してこれ以上の節約だとかなんだとかが、いったいどうして出来る。」
「出来ないことはないと思う。」
「ないと思う……思ったって出来ないものは出来ない。出来るというんなら、どれ、どこで出来るか、一つ一つ、具体的に説明して見ろ。」
村長は突っ立ち上って、ずいと田辺の席へ迫ろうとする気配を見せた。一瞬、田辺も突っ立ち上ったが、
「それは、その……その……」
瘤の激しい見幕に、彼は頭がくらくらしてしまって、もはや、何をいうべきか、すっかり解らなくなっていた。
「その、その……か。うむ。うむ……」と村長は大きく笑った。それから席につき、言葉を改めて、「他の諸君はどうだね。何か異議があるかね。」
誰も何ともいうのはない。
「なければ裁決したらどうだ」と長老議員が口を挟んだ。
「裁決――異議なし。」
「異議なし」とみんなが言った。
打ちのめされた田辺村議は、しばし顔を上げず、蒼白な薄ぺらい唇をわなわなと震わせていた。
それから一週間ばかりたったある日のこと、田辺は作業服を着て古い帽子をかぶり、下男といっしょに家の裏手の野茶畑で春蒔野菜の種子や隠元豆、ふだん草、山芋などを蒔きつけ、さらに、トマトや南瓜の苗を仕立てるための苗代ごしらえをしていた。おいおい彼自身も村夫子にかえって野菜作りから麦小麦、やがて田起しまでやる覚悟だったのだ。
そこへ産業組合の事務をやっている石村藤作がひょっこりやって来た。この五十男は何の能もないが、別に暮しに困らない身分で「遊びかたがた」組合へ出ていると公言している至極暢気に出来上った人物である。
「やア、これはしたり、百姓のまね[#「まね」に傍点]なんど止した方がよかっぺで」と彼はいきなり近くの木株へ腰を下ろして、煙管を出し、「いや、こないだは痛けえ[#「痛けえ」に傍点]だったっちう話だっけな。どうしてどうして、田辺君のような若い勇士でなけりゃ出来ねえこった。」
「な、なんだい。……何を言ってるんだい。」
田辺はうすうす分ったが、わざとそんな風に笑って、種子を蒔きつづける。
「何を……って君、瘤の野郎をぐう[#「ぐう」に傍点]の音も出させまいと凹ませたっち話よ。――いや、どうして、この村広しといえども、あの男の前へ出ては口ひとつきけるものいねえんだから、情けねえありさまよ。そこを君が、堂々と正眼に構えて太刀を合せたんだから……」
「つまらねえこというな。」
「つまらねえこと……馬鹿な、何がつまらねえことだ。俺ら聞いて、すうっ[#「すうっ」に傍点]と胸が風通しよくなったようだっけ、本当によ。――あんな君、瘤のような人間、駄目だよ。これからは、はア、時代おくれだよ。若い連中で村政改革やっちまわなくちゃア……」
田辺定雄は種子まきを止めず、相変らずにやにややっているよりほかなかった。いったい、この男、なんでやって来て、なんのためにそんなことごでって[#「ごでって」に傍点]やがるのか。
「何か用事かい、石村さん」と田辺は我慢しきれなくなって訊ねた。
すると藤作老は煙管をとんとん木株に叩きつけ、
「うむ、大して用でもねえけんど、これ……」といって懐中から一通の書付を出した。
組合から、年度替りだとの理由で、親父の代にこしらえた借金、元利合計二千百三十円なにがしというものの催告である。
何が故の、急速な、思いもかけぬこの催告か――口をあけて首をひねりながら眺めている田辺定雄へ向って、
「では、よろしく、頼みますよ。」
浴びせかけて、藤作老はすたこらと歩き出した。
「まず、ちょっと待ってくれ。」
「何か用かな。」
「これは……と、あれ[#「あれ」に傍点]だあるめえな、俺ンとこ……いや、借りのあるもの全部へも、やはり同じように催告が行ってるのかな。」
「さア、どうかな。そいつは、俺には……」
「だって君は、事務やっていて……」
「事務は事務でも、俺のような下ッ端のものには……まア、おかせぎ。」
ひょかひょかと行ってしまった。
「無茶だ」と田辺はつぶやいた。「畜生、なんだと、期日までに返済なき場合は、止むを得ず……強制……執行する場合もあるべく……だって……へえ、畜生、いいとも、やって見ろッちだから……」
ところでその翌日のこと、こんどは油屋の番頭がやって来て、「いや、先生、(先生などとこの番頭はわざと呼んで)こないだの村会では……」と藤作老と同じようなことを言い、さらに付け加えて、「いや、瘤村長の噂はこの地方十里踏出してもまだ知れているんですからね。退治なくてはならんと、みんなが言っているような始末で……」
そして何の用だと田辺がいらいらして訊ねると、やはり組合と同じような催告状であった。しかもここは少し大きく、元利合計三千百何円なにがし。
つづいて田辺は農工銀行からも、無尽会社からも、年度替りを理由の催促を――それも前例を破って、いずれも元利合計……まるで破産の宣告でも受けるもののようだった。
何か眼に見えない敵が前後左右からのしかかって来る。たしかに……畜生、それは何ものなのだろうか。当時、土地は値下りの絶頂で、この地方では水田反三百円ないし三百五十円、畑百五十円ないし二百円どまりであった。一々相手になったのでは無論のこと家屋敷まですっぽろった[#「すっぽろった」に傍点]って足りはせぬ。
いったい、どうしてこんな破目に……俺の信用というものが……。むしろ瘤と一戦を交えたことによって――彼はあれをきっかけにあくまでやる覚悟をきめていたのである。――村民の信望をかち得たはずの俺ではなかったのか。
しかるに……考えると頭が痛かった。二日も三日も、彼は一室にこもったきりで、財産目録を傍に、切り抜け策をとうとうはじめなければならなかったのである。
「あんた、お巡りさんよ。」
妻の心配そうな顔が、障子をあけて……。それはもはやどうにも対策が考えつかず、いっさいを投げ出して再び満鮮地方へでも出かけようかと捨鉢な気持さえ起りかねない矢先だった。
「なんでしょうね、あんた……」と妻は心配そうに重ねていっている。
「何かな、別に、俺、ケイサツに用のあるはずもねえが……」
「今日《こんち》は……田辺さん――」と巡査の呼びたてる声。
「あい、何か用か……」
出て行くと、村の巡査は、ばか丁寧に、少し世間話をやってから、
「いや、お忙しいところを……」
と言って、そして紙片を出し、田辺へ突き出して、
「なアに、何でもないでしょう。ちょっと訊ねたいことがあるとか言ってたようでしたから、たぶんそれでしょう」と説明した。
「ふう……明××日、本人出頭のこと……代人を認めず……ふう。」
田辺は平べったい顔をひきゆがめ、鼻をくんくん鳴らしながら、二度も三度もその文句を口にしている。
「なんでもありませんよ……いや、時に、こないだ村会で大いにやられたそうで、村民も大喜びでしょう。実際、私からいってはなんですが、瘤のこれまでのやり方というものは、その、あれ[#「あれ」に傍点]ですからな……」
「これは、やっぱり、本人が行かなくちゃいかんものかな」と田辺は顔をしかめて呻るように言った。
「はア、やっぱり、本人が……」
次の日、F町の警察へ出かけた田辺定雄は夜になっても帰らず、その翌日もかえらなかった。
選挙違犯で、彼から「清き一票」を買ってもらったという十数名の村人と共に、ひどい取調べをされているという噂が立った。すると、
「ああ、それはなんだ[#「なんだ」に傍点]よ」とわざと田辺の妻へ言ってくれるものが出て来た。「それは、奥さん、瘤神社[#「瘤神社」に傍点]へお詣りすれば、はア直ぐに帰されるよ。そのほかに方法はないでさ。」
* * *
以上のようなことがあってから、約一ヵ年半の月日
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