えで、むっつりと壁面かどこかを睨まえている。
「本年度の予算案について、田辺君から修正したい点があるそうで……」と杉谷助役が村長の傍の椅子へかけるや否や、少しく無雑作にやり出した。そして、「田辺君……」ちょいと眼で。「だいたい――」田辺は自席から、「他村なんかに比し、本村の公課負担は重すぎる傾向があるようだが、――たとえば舟車税付加というようなものに見ても、他村では本税の二三割しか付加していない。しかるに本村では八九割もかけている。――それからもっとも大きな問題は特別税戸数割で、これは本村では、収入一円につき二銭三厘云々……というような賦課率になっているが、こういう点、もう少し村民の負担を軽くしてやることは出来ないものだろうか、と考えるのだが……」
「どういう根拠で君はそんなことを言う。」と村長が不意に威嚇するような声を出した。
「どういう根拠……といって別に……」
「棍拠がない。では単に反対するために反対するのか……」
「いや、根拠がないというわけではないが。」
「では、それを言って見たまえ。」
「つまり……その……村民の生活程度というものは……」
「それが根拠か。君は村民が一年間にどれだけの酒を飲み、煙草をふかすか知っているか。この村に何軒の酒屋があって、何石の酒が売れるか知っているか。」
 田辺はぐっと詰まってしまった。
「知っているか。」と村長はたたみかける。
「さア、そいつはまだ……」
「何がまだだ……そいつも知らぬくせに、何が村民の生活だ。」
「しかし――」と田辺はどっきどっきと打つ胸を強いて抑えて、「予算を見ると、節約すべき項目は随分あるように思う。たとえば会議費……」
「君らにそんなことを言われなくたって、節約すべきものは全部節約している。」
「しかし……」
「何がしかしだ。この予算に一銭でも無駄があるか。乏しい歳入に対してこれ以上の節約だとかなんだとかが、いったいどうして出来る。」
「出来ないことはないと思う。」
「ないと思う……思ったって出来ないものは出来ない。出来るというんなら、どれ、どこで出来るか、一つ一つ、具体的に説明して見ろ。」
 村長は突っ立ち上って、ずいと田辺の席へ迫ろうとする気配を見せた。一瞬、田辺も突っ立ち上ったが、
「それは、その……その……」
 瘤の激しい見幕に、彼は頭がくらくらしてしまって、もはや、何をいうべきか、すっかり解らなくなっていた。
「その、その……か。うむ。うむ……」と村長は大きく笑った。それから席につき、言葉を改めて、「他の諸君はどうだね。何か異議があるかね。」
 誰も何ともいうのはない。
「なければ裁決したらどうだ」と長老議員が口を挟んだ。
「裁決――異議なし。」
「異議なし」とみんなが言った。
 打ちのめされた田辺村議は、しばし顔を上げず、蒼白な薄ぺらい唇をわなわなと震わせていた。

 それから一週間ばかりたったある日のこと、田辺は作業服を着て古い帽子をかぶり、下男といっしょに家の裏手の野茶畑で春蒔野菜の種子や隠元豆、ふだん草、山芋などを蒔きつけ、さらに、トマトや南瓜の苗を仕立てるための苗代ごしらえをしていた。おいおい彼自身も村夫子にかえって野菜作りから麦小麦、やがて田起しまでやる覚悟だったのだ。
 そこへ産業組合の事務をやっている石村藤作がひょっこりやって来た。この五十男は何の能もないが、別に暮しに困らない身分で「遊びかたがた」組合へ出ていると公言している至極暢気に出来上った人物である。
「やア、これはしたり、百姓のまね[#「まね」に傍点]なんど止した方がよかっぺで」と彼はいきなり近くの木株へ腰を下ろして、煙管を出し、「いや、こないだは痛けえ[#「痛けえ」に傍点]だったっちう話だっけな。どうしてどうして、田辺君のような若い勇士でなけりゃ出来ねえこった。」
「な、なんだい。……何を言ってるんだい。」
 田辺はうすうす分ったが、わざとそんな風に笑って、種子を蒔きつづける。
「何を……って君、瘤の野郎をぐう[#「ぐう」に傍点]の音も出させまいと凹ませたっち話よ。――いや、どうして、この村広しといえども、あの男の前へ出ては口ひとつきけるものいねえんだから、情けねえありさまよ。そこを君が、堂々と正眼に構えて太刀を合せたんだから……」
「つまらねえこというな。」
「つまらねえこと……馬鹿な、何がつまらねえことだ。俺ら聞いて、すうっ[#「すうっ」に傍点]と胸が風通しよくなったようだっけ、本当によ。――あんな君、瘤のような人間、駄目だよ。これからは、はア、時代おくれだよ。若い連中で村政改革やっちまわなくちゃア……」
 田辺定雄は種子まきを止めず、相変らずにやにややっているよりほかなかった。いったい、この男、なんでやって来て、なんのためにそんなことごでって[#「ごでって」に傍点]やが
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