かった。それが一俵、他に屑米が一俵、それだけだった。
 毎年々々のことだったが、おせきは田植時分からその苦労のために痩せる思いだった。出来秋まで、何の心配もなく食うだけのものは貯えておきたい、おかなければならぬ。それが農家としての不文律であり、常規でなければならなかった。でなければ曲りなりにも一家を張っている以上、人様に顔向けが出来なかった。
 早く麦でも売って、その金でそっ[#「そっ」に傍点]と必要なだけの米を買いたい。ところが今年はその肝心の麦が自分勝手に売却することが出来ず、産組へ集めて、政府へ供出するのだという。そして麦俵は出したが、金が……実に、その金がまだ渡って来なかった。
 全くどうしたらよかったのか。子供らの小遣銭にも不自由な日がやって来ていた。そういうやさき、また一つの難問題が降って湧いた。それは「米の調査」というこれまでかつて経験したことのない一事件だった。部落常会で助役さんの説明するところによると、今から一人|宛《あて》米二合八勺として十月一日までの数量以上を持っているものは、たとい一俵でも二俵でも政府へ供出しなければいけない。それはこの日支事変を遂行するため、日本が勝って東亜の盟主になるため、是が非でも必要な処置であり、日本農民の、それが唯一の、この際の義務である……というのであった。
 常会から帰った浩平にそのことを告げられると、おせきは夜半まで、まんじりともせずに、あれこれと胸の中で算盤を弾《はじ》いた。――自家《うち》ではどうしても、これから百日と計算して、一家八人、割当だけでも約六俵は必要なのに……それが一俵しかない。うちには一俵しかございませんなどと調べに廻って来た役場や農会の方々の前に赤恥をかくようなことがどうして出来よう。――あと五俵、いや、出来ることなら六俵、それをどうしてこの際、工面したらよかったろうか。
 考えても考えても、たよるのは産組へ出荷した大麦の代金だけしかなかった。つぎの朝、彼女は野良支度をしている夫へ言った。
「あの金、まだ渡して貰えねえのかどうか、組合さ行って聞いて来てくれねえか。」そして彼女は組合というものの、こういう際の不自由をぶつぶつと、まるで浩平に罪でもあるかのように、繰りかえして攻撃した。
 やがて組合へ行って訊ねて来た浩平の答は、四五日中に半金位は渡るかも知れない、という空っとぼけたものだった。彼
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