ので、そのまま眠ってしまったが、再び彼女の胸のうちにはもやもやするものが湧き起った。
「畜生、身上切り盛りもねえもんだ。まかり間違って洪水でも来たらどうするんだ。とどのつまりは俺げ降りかかって来るんだねえか――」
 おせきはとにかく家付娘として、祖先から伝った屋敷や若干の田畑――作り高の三分の一にも当らなかったが――だけは自分の名儀で所有していた。婿の浩平はその点になると、いわゆる「素っ裸」で、いざという場合には腕まくりでも尻まくりでも出来たのである。
 そのことを考えて夫の言動を責めつけようとは思ったが、朝っぱらからぎゃあぎゃあ言い合いをして、この忙しい時節、近所に迷惑をかけるでもあるまいと、彼女はぐっとそれを腹の底の方へ押しやってしまった。そして学校へ行くの行かないのと愚図ついているおさよへ当りがけした。
「馬鹿、学校なんどどうでもいい、苗取りやるんだから田圃へ行かなくちゃしようねえ。」
 浩平にはかまわず、おさよをせき立ててそのまま家を出た彼女は、今度はいよいよ夫がどうしてその肥料の金の工面をしたかに疑いを懐かざるを得なかった。――また母から借りたに相違ない。――そう口に出して言うと、彼女の足は我にもあらずそこへ釘づけになった。十五叺手に入れたとすれば、どんなことをしても百円は缺けまい。そんな大金がある筈はなかった。産組から来るつもりで用意した金が五十円位はあったが……その他には、子供らへやった小遣銭まではたいたとしても十円とはまとまらなかったであろう。――だから親父め、あんな薄とぼけた顔つきをしてやがるんだ。それに母も母だ。――おせきは胸くそが悪くなった。実の母だからそれが一層ひどかったのかも知れぬ。村人に立てられた夫と母との噂――それが依然として解けない謎であり、ますます深まる疑惑でさえあった。
「母を叩き出した。」全くそれはおせきの断行した、換言すれば実の娘の鬼畜の行為であったろうが、はやく夫に死別して、持って生れたその百姓女には珍らしい美貌――美貌もきいてあきれるが、とにかく人並以上の容貌であることは、当のおせきにも分っていた――がいわゆる仇《あだ》をなして隠然公然、多くの男の慰み者に堕し、うまく立廻って小金は蓄めたか知れないが、そのためにどんなに自分たち兄妹――兄及び弟の三人のものが惨めな境涯に陥ちたことであったろう。そのため家を飛び出した長兄は他郷
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