かえって汚れものなど洗濯している彼女の、かかる貧しい村にあっては不似合なほどなまめかしいふうや、臆面もなく露《あら》わな脇の下、白いはぎなどを見て、村人はごくりと唾を呑んだ。
夫に死別するや、半歳ならずして彼女のそうした生活がはじまったのであった。十四になる息子は東京へ奉公に出してしまい、よぼよぼの老母は隠居家へ押しこめてしまって、そして彼女は鍬を棄てたばかりでなく、何よりもまず村人としての生活、百姓女としてのこの世の繋縛――伝統や、いわゆる「近所づきあい」という煩累から、すっかり自由になり、さらに「家」というものの、親子の関係や、夫婦の関係や、親戚間のそれや、そうした絆《きずな》を断ち切ってしまって、完全に「自分一個」の「自由」な「囚われない」生活をはじめたのであった。
彼女は、近所や親戚に葬式があっても気が向かなければ顔を出さなかった。女房たちの年に一度二度の集まりにも姿を見せなかった。隠居家にひとり佗びしく生きていた老母――彼女の実の母――が息を引取る時も、旅にいてなんの世話もしなかった。東京で酒屋の小僧をしている息子が、ひょっこり行商からかえった母親を詰《なじ》ると、彼女は吐き出したということであった。
「自分のことは自分でするのが本当だ。俺ら誰の世話もしたくねえ代りに、ひとの世話にもならねえで気が向いたら死ぬ。」
孤独とそして自由――それが彼女のすべての生活であった。「気が向けば」彼女は遠い山の温泉場へも行ったし、名所旧跡も訪れた。松島見物に出かけた村の人々が、塩釜の町で、ひょっこり彼女を見つけて挨拶したら、彼女はどこの誰だっけ?……といったようなとぼけた[#「とぼけた」に傍点]顔をして、返事もせずに行き過ぎたなどという話題を提供したこともあったほどである。「あの年で、ああして一人でいやがって……」などといらぬお世話を焼いたり、想像を逞しくしたりする人たちも、むろん最初はなきにしもあらずだったが、しかしそうして瓢々乎として足の向くままに、女の身で、今の文壇における誰やら女史のように、旅して歩く彼女の存在は、やがて村人のこころから離れてしまって、たまに鼠にさえ見限られた古家の雨戸を繰っている姿を見ても、単なる網膜の一刺激にも値しなくなってしまった。
二十年の月日が経過した。ある日、旅先から古い故郷の家居へたどりついた彼女は、見るかげもなく痩せ衰えて、雨戸を開け、座敷へ這い上るのもやっとのくらいだった。誰一人訪れるものもない家、ひっそりと静まりかえって、晩秋の淋しい陽射しに、庭前の雑草の花のみがいたずらに咲きほこっている草葺家の中に、彼女はひとり閉じこもったきり、うんともすんとも音を立てなかった。
そして約半月が経過した。誰もいないと思っている彼女の閉めきられた家から、突如として一つの呼び声が洩れはじめた。
「誰か来てくろよ。苦しいよ、あ、苦しいよ、誰か来てくろよ。」
人生における、そしてこの社会における孤独と自由の破産――実際、彼女の死顔を見たものは、痛苦の本質そのものに面接したようにぞっとしたという。
自然人
お寺の門のところにどっかと胡座《あぐら》をかいた、微動だもせぬ、木像の安置せられたような彼――いかなる名匠の鑿をもってしても、かかる座像を彫ることは不可能に相違ない。それは生きている、生存しつつある木像なのだ。大きなぎらぎら光る眼、ふさふさしたみごとな髯――それが生えるがままに伸びて、くっきりと高い鼻をいやが上にも浮彫し、まるで太古の神々の中の一人でもあるかのように見えるのである。
これは通称「ひらきやの兼公」の、ある日ある時のポーズなのだ。そして彼には、もう一つの「お得意」のポーズがある。往来のまん中へ、赤裸のまま、両股をひらいて、そしてすっくと突っ立ち上り、両手を腰にあて、両眼を見開いて大空のある一点を凝視したまま、二日でも三日でも、気のすむまで地から生え抜いた天下大将軍のそれのように、悠然として立っているのである。
その爛々たる眼は何を見つめているのであろう。おそらく何も見てはいないのかも知れない。しかしながら天の一角に一つの不思議を発見して、その正体を見きわめようと据え付けられた精巧な器械のようにそれは見えるのである。
ところがこうした彼が往来へ突っ立ったが最後、実際、彼は「挺《てこ》でも動かない」のである。荷車をひいた百姓たちは、彼がそっくりそのまま石の地蔵尊でもよけるようにして傍へ片づけ、そして辛うじて通り得るのである。年頃の娘たちなどは、顔を火のようにするか、でもなければ、この立像に会っては、数町を遠廻りしなければいられない。
しかし彼はいかなることをされようとも、決して人に危害を加えるようなことはないのである。彼は家というものももはや失い、主として山野に寝《い》ね、山野に彷徨して、虫けらを食って生存しているのだが、時々、里へ出現ましまして座像化したり、立像化したりをやらかすのである。
時にはまたひょっこり農家を訪れることもあるのであった。しかしそれは食を乞うためではなかった。彼は生《なま》ものを好み、煮沸したものは好まないらしい。そしてそういう生《なま》のままのものなら、何もわざわざ人家を訪れなくても、野良にいくらでも作られている。実際、虫けらもおらず、作物もない冬季ででもなければ、彼は人がやっても、握り飯やふかし芋は口にしなかった。五十歳に近い彼が若者のように漆黒の毛髪を持ち、三日間も立像化するエネルギーを把持しているというのは、全くこの生《なま》ものの故かも知れなかった。
兼さんが、かかる生活をはじめてから、もう二十五年にはなろう。彼には一人の妹がある。東京で女中奉公しながら、可哀そうな兄貴の世話をしてくれと言って、村の親戚へ、時々五円十円と送って来るそうである。しかし山野いたるところに青山あり、生存方法の存在する兼さんにとって、そうした資本主義社会では神様である重宝なものも、何の役にも立たず、また必要もない。お蔭でその親戚では、思わぬ拾いものをしているとか、いないとか。
兼さんがお寺の門の前へまた座り込んだという話を聞いて、私は彼を訪ねて見た。むろん昔の小学校におけるこの同輩を、彼が記憶しているはずはない。
「兼さん! どうだい。」
言葉をかけても、彼は微動だもしない。人語を喪失した石上の修道者か何かのように、じっと前方を見つめたままである。
神様
村の一部を国道が通じている。そこを約一時間おきにバスが通っている。私の部落からその国道へ下りる坂の下に、ぽつんと一軒の家が建てられはじめている。どこからか壊して来たものらしい。聞いてみると、やはりそうで、そしてこれは実に「神様」の家なのであるという。
ある日、僕が国道のところでバスを待っていると、そこの茶店のお主婦《かみ》さんが、まア、しばらくですね、まだ時間があるようですから、こちらへ腰を下ろしてお待ちなせえよ、と言いながら、もうお茶など汲んで出してくれるのであった。その時、いま見て来た「神様の家」の話をして、いったい、どんな神様なんですかねと訊ねると、へえ、大した神様ですよ、と笑いながら次のようなことを話すのであった。
つい、こないだのこと、その神様がここへ寄りましたよ。俄か雨がやって来て、洋傘もなかったらしく、ずぶ濡れになってしまって飛び込んで来たンでしたが、ちょうどそこに、××から蟹を商いにやって来たおいささんという女のひとが、やはり雨宿りしていたんですよ。おいささんはもう十年ばかり後家を通している働きもんでね、いくらか小金もためているという評判もあるンですがね。あれで少し顔でも人並みだと、まさか誰だってああして一人じゃ置きますめえがね……なにしろあのご面相じゃ……でもまだ若いんですよ、三十を越したばかりでしょ。まアそれはとにかく、おいささんが、今晴れるか晴れるかと思って、空ばかり見ているもんだから、神様もはじめは黙って、着物なんか拭いていたっけがね、「おッ母《かあ》、酒一ぱいつけろ!」っちから、つけてやると、それを旨そうに飲んで、急にご機嫌になっちまってね、どれ、姉さん、手の筋見てやっぺ……なんて、こう、ぐいッとおいささんの方へ寄り添っちまってね、おいささん、びっくらして、ぽかんとしているのもかまわず、手のひら引っくりかえして、ふう、ふう、姉さんは……っちわけだっけね。おいささんは見料取られッから嫌だって手を引っ込めようとすると、無理に手頸なんか握っちまって放さねえで。それから、お前さんはひとり者だな、商売の方は今うまく行ってねえが、どうこうすっとうまくいくようになると、お決まりの文句を並べはじめたっけが、おいささんも商売は熱心だからね、その話になると、つい、乗っちまったね。神様と話おっぱじめっちまった訳でさよ。
すると神様は喋り出した。いや、何を喋ったか知らねえが、酒をもう一杯、もう一杯……で、とうとうおいささんへ杯を差したもんで、受けろッち騒ぎでさ。おいささん、はじめてびっくらして、嫌だって逃げると、そんなことはねえ、神様の杯、なんとかかんとかって怒り出しちまってね。おいささん、怖くなっちまって、肴に蟹やるから、酒だけは勘弁してくろッちわけでね、なんでも蟹二つ三つ、籠から出して神様に食わせて、ようやく機嫌直してもらったね。
するとどうだっぺね、神様すっかり悦んでしまって、商売繁昌の呪禁《まじない》してやっから、あっちの、奥の部屋で、十五分ばかりで済むから、いっしょに酒飲みながら……っち話さ。あの神様、あれでよっぽど女好きですと……
バスが来てしまった。神様はおいささんを呪禁ったかどうしたか? 私の耳へは、お主婦《かみ》の話の代りに、女車掌の「お待ちどう様でした。××行きでございます……」
米泥のM公
いつ見ても腐れ切った草屋根のところどころ雨漏りのする個所へ煤けきった板など載せて、北側の荒壁は崩れるままにまかせてあるのだったが、その廃屋同様のM公の家が、どうしたのか立派(?)に修繕せられて、やや人の住居らしく往還に背を向けて立っている。M公も「堅気」になったのかしら、女房でももらって「身を固めた」のかしら、と思って聞いてみると、否、どうして、彼はまた七年半ばかり「食《くら》い込んで」、最近出かけて行ったばかりだという。
「また、米でか――」
「ンだ」といって話者は微笑した。
M公は「米俵かつぎ」以外に、それこそ塵一本他人の物は盗ったことがないという泥的仲間の変り種なのである。一人前の体力が出来てから四十年このかた、何回彼は米をかついだろう。しかもそれがきまって二俵ずつ、貫目にして三十二貫ずつ、決して足跡も残さずにやってのけるのだから、その方にかけては、まさに「神技」を体得しているといってよかった。「今度も例の伝で、××の治兵衛どんの倉から四俵やらかしたんだ」と話者はいうのであった。
「それがよ、雨上りの泥道だっけが、ンでも、どこにもそれらしい跡がねえんだちけから、全く偉いものよ。」
「しかし、よく盗まれたのだけは解ったな。」
「うむ、やはり二三日分らなかったな……」
だが、どうも「変だ!」と家人が気づいて、積んである俵をかぞえて見ると、どうしても四俵不足している。「やられた!」いまさらのようにびっくりして、村の巡査駐在所へ自転車を飛ばした。
するとどうだろう、その途中、××屋という白米商の軒下をふと見ると、そこにちゃんと四俵の米が積まれている。今の今、誰かが売りに来るか、買って来たかしたものに相違ない。例の虫が知らせたとでもいうか、自転車を飛び下りて俵を検分すると、たしかに自分のである。小作米として取ったその俵装には、ちゃんと生産人の名前が記入せられていたのである。
誰から買ったのか? 今朝、M公が持って来たのだ! といったようなことで、たちまちこの泥棒事件は、頭かくして尻隠さずに終ってしまった。巡査と治兵衛がM公の家へ行くと、彼は悠然としてひとり朝飯をやっていた。久しぶりで彼は酔っぱらってさえいた。
彼の前半生は――
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