沼畔小話集
犬田卯
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)優男《やさおとこ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)草|蓬々《ぼうぼう》で
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)純真なやつ[#「やつ」に傍点]でね
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伊田見男爵
伊田見男爵と名乗る優男《やさおとこ》が、村の一小学教師をたずねて、この牛久沼畔へ出現ましました。
男爵令嗣は「男爵」と単純に呼ばれることをなぜか非常によろこばれたということであるから、私もこれから、単にそう呼ぶことにしよう。で、閣下、いや、男爵は霞ヶ浦の一孤島――浮島にしばらく滞在されて、そこの村役場の書記某というものの紹介状をふところに、わが村の教師のところへやって来たのである。何の目的があって? それはおいおいと判明するであろうが、とにかく同僚の紹介――教師は以前その島に奉職していた――であるから、Mというその教師は、細々と書かれた紹介の言葉を読み終るや、
「さア、どうぞ……」と丁寧に、若き男爵閣下を客間に招じ、正座に据えたのであった。
男爵は粗末な袷《あわせ》・羽織を着流し、風呂敷包み一個を所持しているのみであった。(この話は初秋に起った)が、別にそうした風体を気にかけるでもなく、悠々迫らざる態度で、いかにも貴族らしい挨拶をするのであった。
「僕は全体、上流社会が嫌いでしてね。」
「いや、何といっても平民階級の中にいた方が、気がおけませんよ。」
男爵は、だから「画家」として世に立つべく修業し、写生旅行に、この風光明媚の沼岸へやって来たというのであった。
M教師は酒肴を出しつつ、
「はア、そうですか、この村には小川芋銭先生がおられますが、ご存じですか」
すると男爵は視線をあちこちさせて、
「小川……小川、先生……そう、あの方は帝展でしたな。有名な方ですな。」
「いや、院展の方で……」と正直なM教師は答えたが、相手が、
「あ、院展でしたな、そう、そう院展の……」
明らかに狼狽した返答に接すると、こいつは……と考えざるを得なかった。
雑談数刻、風呂がわいたという知らせに、男爵は、M教師の妻君から手拭を借りて風呂場へ立った。
その間に、M教師は弟のように可愛がっているという画家――美校出身の、そして芋銭先生の弟子であるところの――を呼びに、近くまで自転車を走らせたのであった。
「おいS、俺の家へ、いま男爵閣下がお見えになったんだ。いっしょに飲もう。」
「へえ、珍客だな、しかし何という男爵様なんだい。」
「伊田見っていうんだ。」
「ニセじゃないかね。よくそんな奴が田舎を荒し廻るからね。」
「うむ、じつはどうも怪しいから、お前を呼びに来たんだ。」
「じゃ、ひとつ正体を見届けてやるか。」
二人が勢いこんで取ってかえした時、男爵は風呂から上って来た。そして浮島から歩いて来て、足袋がこの通りになってしまったと笑いながら、その汚れたやつを廊下へ投げすてて、風呂敷包の中から、新しいやつを引っ張り出したのであった。新しいといっても洗濯したものである。閣下……いや、男爵は、そいつの皺を伸ばしながら右足に穿《は》き、もう一方を穿こうとすると、どうしたことか、それも右足の方である。
男爵は、瞬間妙にてれたが、チョッ、と舌打ちして、それを風呂敷包みの中へ押し込み、左足のを探したが、無い!
「宿へ忘れて来たかな! 仕方がない。」
ひとりつぶやいて、右足のも脱いで、そのまま座ってしまった。
その夜は雑談に花が咲いて、無事に過ぎた。男爵はなかなか座談に長《た》けていたのである。いかに怪しいとにらんだからといって、まさか、真っ向からそう訊ねるわけにもいかない。いや、本ものであった場合は、大変な「失礼」にあたってしまう。
* * *
次の日、男爵は沼へ写生にでも行くかと思いのほか、村の有志訪問と出かけたのであった。最初に、農会長を訪ねた。
「僕、満州に農場をはじめかけているんですよ。約三千町歩ばかりの荒蕪地を払下げてもらってね。大々的に、近代式の機械をつかって、アメリカ式にやろうと思ってね。」
そしてそのアメリカ式の大経営が、いかに巨大なる利益のあるものであるか。また、そこの従業員や農耕者の雇入れ……いずれ移民を募集するのだが、この辺からも一つ、農会の尽力で、五十名ばかり欲しいものだ。いや、この辺の百姓はなかなか勤勉であるし、次三男諸君も随分いるようである。
ちょうどそこへは隣村の失業農業技術員Kという青年が来合せていた。男爵はすぐにこのKへ親しみの視線を送り、内地農業の見込みのないこと、将来の農業はどうしてもアメリカ式、ないしロシヤ式でなければならないこと等々を滔々として語り、いかに自分がそういう方面において、新しい計画、経綸を持っているかを誇示したのであった。
やがて男爵はKといっしょに農会長の宅を辞去した。辞去するまでには、男爵は農会長をして翌日、画家小川芋銭氏を紹介させ、そして満州における大農場建設の資金の一助として絵を幾枚か書かせようという手筈まできめてしまったのであった。
「じゃ、どうぞよろしく。」
「承知しました。」
意気揚々としてそこを出た男爵は、Kの肩を叩いて、
「君、どうだね。ひとつ満州へ勇飛しないかね。」
「いや、大いに勇飛したいと考えていたんですがね。」
「じゃ、僕のところで高給を出そうよ。それからね、僕は、実に、その君の高潔なる犠牲的精神と、現代、農村青年のみが持っている本当の真面目さに惚れ込んだよ。それでだね、どうだね、折入って話したいことがあるんだが……」
若いKは、東京の男爵閣下に、かくも慇懃に持ちかけられたので、じゃ、ひとつ、そこでひと休みしながら……と言わざるを得なかった。何となれば、ちょうどそこには、それにふさわしい「御休所」があったのである。
卓を囲んで、女給が、どうぞお一つ……と来てからややあって、男爵はKの耳に顔を寄せていうのであった。
「実はね、僕は君のような真面目な、日本精神を体得した青年を探していたんだ。で、これはまアさきの話であるが、いや、現在でも決して差支えないんだ……ね、僕の縁者に一人の、まア、いわば僕の妹のようなやつがいるんだ。君、そいつと結婚してやってくれないかね。独身で満州くんだりまで行くなんて、われわれ若き男性にとって、こいつは残酷だからな。いや妹のやつも農業が好きで、上流社会や華族社会は嫌いだというのだ。」
「大して美人というわけでもないがね……」と言いながら、男爵は、あっけらかんとしている青年の前へ、一葉の写真を出したのであった。「しかし君、この通りの純真なやつ[#「やつ」に傍点]でね。」
なるほど――いや、非常な美人である。この辺の村の土臭い娘達に比しては……
* * *
K青年は有頂天になってしまって、次の日、Sのところへ報告に立ち寄った。
「S君、俺は婚約したぞ、男爵閣下の令妹とよ。」
Sはその時、自分の従兄にあたる農会長が、男爵を連れて小川先生を訪問すると聞いてびっくりしてしまい、「ちょっと待て!」をやったあとだった。とにかく本当に伊田見男爵の令嗣だというあかしを見てから紹介するならした方がよかろうと、M教師と同道でことわったのである。で、Kにも言った。「眉つばものだぜ。」が、Kは華族の令嬢と結婚出来るものと信じて疑わない。
男爵は、その時、では「証明」を手に入れてくると言って、急遽東京へ立ったのであった。そして二日して、戸籍謄本と××子爵の堂々たる紹介状とを持って、また村へやって来た。が、M教師とS画家とはまだ信用するまでには行けなかった。
「おい、二人でこっそり調べて来ようじゃないか」とM教師はいうのであった。
そこで二人はご苦労さまにも東京へ出発したのである。と、それと気づいた男爵は、ふいといなくなった。夕方、東京から、ニセだから捕えろ! という電報が村の巡査へ来たとき、彼はもはや消えていたのである。が、あとで捕まった。男爵閣下は茨城北部のある町の床屋さんであった。道理で汚ない風姿はしていても、いつも髪だけはきれいに撫でつけていた。
虚脱人
彼の田地は「茅山《かややま》」――草葺屋根の材料にする茅刈り場――そのもののごとく草|蓬々《ぼうぼう》であった。背丈を没する葦さえそれに交って、秋になると白褐色の穂を、老翁の長髯のようにみごとに風になびかせた。数年この方、彼は耕さなかったのである。しかも自己の持地に隣る三反歩の小作田まで一様に死田化して顧みなかったのだ。
水田ばかりではなかった。畑地をも彼は雑草に一任してしまっていた。親戚のものは、わざわざ何回も「会議」を開いて彼に忠告した。村長や警察まで心配して――なんとなれば彼は国民の三大義務の一つ、納税なるものを果さなかったので――威嚇した。三反歩の方の地主は強硬に土地返還を迫った。が彼はそれらのいずれに対しても頑として応じなかった。「勝手に何でもやれ! 俺は、俺だ。」
そして彼は毎日寝ていたのだった。夜も昼もなかった。一番奥の部屋へ蒲団を敷きぱなしにして。屋根からは雨漏りがした。壁は崩れてしまった。掃除もしない家の中は、埃や鼠の糞だらけだった。
彼には二人の子供があった。長男は十四歳で次の女の子は十二歳のはずだった。彼らは全く野獣化して、他家の果樹へよじ登ったり、畑のものを失敬したりして生きていた。親戚で引き取っても三日といつかなかった。労働と叱責、それは彼らにとって堪え得ないものであるらしかった。彼らは彼ら自身の生活方法を獲得していて、夜だけはどうやらぼろ[#「ぼろ」に傍点]家へかえるが、夜が明けると雀のように唄いながら餌をあさりに出てしまった。
作物を荒された村人は、よく親父のところへ抗議するのだったが、親父先生は返事もしなかった。執拗に談じ込むと、彼はうるさそうに叫んだ。「ぶっ殺すともどうとも勝手に、勝手に……俺は、俺だ。俺の知ったことじゃねえ。」
彼は炊事もやらなかった。殆んど塩と水で生きているらしい、とは近所のものの観察である。彼がああなる前に収穫した籾が、俵に五六十残っているが、そいつを小出しに、ぽつぽつ食っているらしいとのことでもあった。
「こないだ郵便物が来たから持って行ったら」とこの話をした私の友人――××局の配達夫をやっている――が真面目な顔でつけ加えるのであった。「相変らず堆肥のような蒲団の中に、この暑いのにもぐっていて、そんなものわざわざ持って来てくれなくてもよかったっけな……なんて、手紙を受取ろうともしないんだから……」
「百円札が入っていたかも知れないのにな。……それはとにかく、気狂いかね。」
「いや、気は人並み以上に確かですよ。議論をはじめたとなると滔々として政治問題、社会問題、人生問題、なんでもやるんですからね。」
友人の話を総合すると、数年前妻に死なれてから、彼のそうした新生活がはじまったとのことだった。婿であった彼は、それまでは人一倍の働き手だったし、真面目一方の若者だった。
それで解る。彼はこの社会に絶望したのだ。そしてそれっきりになってしまったのだ。が、それはとにかく、このニヒリスト先生、つい過日のこと、のこのこと万年床から這い出して、草蓬々の自分の畑をうなったそうである。
「何か蒔くつもりでしょうよ。籾俵を食いつくしてしまったんですね、きっと。子供らのように、まさか、手あたり次第、ひとのものを取るわけにも行かないでしょうからね。」
「ニヒリズムの破産ですかね。」
伝統拒否者
彼女は呉服ものの行商を営んでいた。家にいることはめったになかった。一週間も旅先から帰らなかった。稀にかえって来ると、彼女は屋敷の殆んど半ばを占める野菜畑へ出て雑草をむしったり、季節々々のものを蒔いたりした。
彼女はまだ若々しかった。時に行商から
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