とき、私たちは単純な百姓の生活をむしろ羨んだのであった。
その年は雪また雪の連続であった。そのために正月が終っても浩さんは仕事に来てくれず、私はしばしば机の前から離れて、風呂をたく薪をこしらえなければならなかった。もっとも浩さんは自分の家の台所へ水汲みのついでに、私とこの水も汲んでくれた。二度も浚ったに拘らず、村でいう「まち井戸」である私の家の古い井戸は、一滴の水も湧かなかったのである。夏の盛りと冬季間には、毎年こうした状態になるのが常で、彼岸がやってきて水が出来るまで、他の、「本井戸」――地下水まで掘り下げた七十尺ほどもあるやつ――から貰い水をしなければならぬのであるが、その本井戸なるものは、約二町はど離れた小川芋銭先生の家にしか近みには無かったのである。雪解や霜のために道は悪く、桶は重く、私達にとっては全くこれは難事だった。月三日の決め以外に払うことにしてついに私のとこではこれも浩さんに依頼したのであった。
しかし浩さんは出歩く日が多かった。せっかくあてにして待っていても、ついに風呂の水はおろか、炊事の水にも事欠くことがしばしばだった。この辺の農村生活に不馴れな妻は、その度ごと
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