過ぎなかった。
「岩田のKの子分になったそうだ」ともうわさされた。そしてこれは信用するに足るものだと観察するものもあるのだった。岩田のKという泥棒は、この常南地方の「出身」で伝説的な義賊である。鼠小僧の再来とまでうたわれたとかいう話が今もって残っている。だが、その正体は誰も見たものもなく、ただ徒らに名ばかり高いのである。時によっては、この地方からもそうした大泥棒が出たということが、一種の誇りをさえ伴なって、人々の口から耳へ伝波するのであった。
 ところでその岩田のKが大往生を遂げたというニュースとともに、いつしか今度は、I部落のAがそのあと目をつぎ、妾の四五人も置いて豪勢にやっているという話が、村へひろまってしまったのだった。そして一流れ者の小忰であるAは、ここ数年の間、大泥棒、大親分として、ひそかに村人の、伝統的な英雄崇拝感といったようなものを満足せしめていたのである。
 それまではそれでよかったが、そのAが、最近、ひょっこりと村へかえって来たのであった。予期に反して彼は「尾羽打ちからし」た、見るも哀れな態《なり》をしていた。しかし不思議――でもないか知らんが、とにかくAは女房をつれ
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