教師は弟のように可愛がっているという画家――美校出身の、そして芋銭先生の弟子であるところの――を呼びに、近くまで自転車を走らせたのであった。
「おいS、俺の家へ、いま男爵閣下がお見えになったんだ。いっしょに飲もう。」
「へえ、珍客だな、しかし何という男爵様なんだい。」
「伊田見っていうんだ。」
「ニセじゃないかね。よくそんな奴が田舎を荒し廻るからね。」
「うむ、じつはどうも怪しいから、お前を呼びに来たんだ。」
「じゃ、ひとつ正体を見届けてやるか。」
 二人が勢いこんで取ってかえした時、男爵は風呂から上って来た。そして浮島から歩いて来て、足袋がこの通りになってしまったと笑いながら、その汚れたやつを廊下へ投げすてて、風呂敷包の中から、新しいやつを引っ張り出したのであった。新しいといっても洗濯したものである。閣下……いや、男爵は、そいつの皺を伸ばしながら右足に穿《は》き、もう一方を穿こうとすると、どうしたことか、それも右足の方である。
 男爵は、瞬間妙にてれたが、チョッ、と舌打ちして、それを風呂敷包みの中へ押し込み、左足のを探したが、無い!
「宿へ忘れて来たかな! 仕方がない。」
 ひとりつ
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