》ね、山野に彷徨して、虫けらを食って生存しているのだが、時々、里へ出現ましまして座像化したり、立像化したりをやらかすのである。
 時にはまたひょっこり農家を訪れることもあるのであった。しかしそれは食を乞うためではなかった。彼は生《なま》ものを好み、煮沸したものは好まないらしい。そしてそういう生《なま》のままのものなら、何もわざわざ人家を訪れなくても、野良にいくらでも作られている。実際、虫けらもおらず、作物もない冬季ででもなければ、彼は人がやっても、握り飯やふかし芋は口にしなかった。五十歳に近い彼が若者のように漆黒の毛髪を持ち、三日間も立像化するエネルギーを把持しているというのは、全くこの生《なま》ものの故かも知れなかった。
 兼さんが、かかる生活をはじめてから、もう二十五年にはなろう。彼には一人の妹がある。東京で女中奉公しながら、可哀そうな兄貴の世話をしてくれと言って、村の親戚へ、時々五円十円と送って来るそうである。しかし山野いたるところに青山あり、生存方法の存在する兼さんにとって、そうした資本主義社会では神様である重宝なものも、何の役にも立たず、また必要もない。お蔭でその親戚では、思
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