な生計を立てていたのである。妹だという三十二三の女は、村に似合わぬ町場の商売女のような風姿をして、なすこともなく家の中に遊んでいた。彼女は十年も「籠の鳥」――村人の言葉――をしたあげく、そこを出て来てからは、いわゆる「ちょっとした」その風姿が物語るごとく、場末のカフェとか、田舎町の料理店とかを転々としていたのだそうで、「三日もすると」――これも村人の表現――そこを飛び出してしまうのが常習であったとか。
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 もっともこうしたことは、私たちはあとで聞いたので、帰村当時は、村人ともあまりそういう種類の話をする機会もなかったので、何も知らなかったのである。しかし浩さんが村でいう「とはり」というところの出であることは、私は彼の小さい住居が私の家の前の桑畑の片隅へ建ったとき聞いていた。それにしても私たちにとって、そうした種類のことは少しも問題でなかったのである。月に三日間、ことによっては差し繰って五日でも六日でも仕事にやって来てくれるという一事に、私たちは最大の利便と助力とを感じたのであったのだ。
 約束は伐り払ったままになっていた椎の木の枝を片づけに一日頼んだ夕方に出来上ったのであった。浩さんは次の日も来てくれて、枝の片づけをどうやら終った。それは旧正月の二日前のことで、村では餅つきも終り、一年間の決算をつけなければならぬ間際であったのだ。浩さんはその晩近所の親しい家で酒をご馳走になって来た……などと言いながらひょっこり土間へ入って来た。私は就床していたが、酔ったと言いながら何かしおしおしている浩さんの顔を見ると、「金だな」と妻は直感したそうである。翌くる日浩さんはまたやって来た。いくら位要るのだと訊ねると、彼は、年の暮で、どうも……と濁している。結局半年分、いや十円もあればどうやら越せるのだと言う。私の考えでは、村の習慣を知らぬものだから一年分を三つにしてその一つだけでもやればいいのだろうと考えていたのであった。十円は私たちにとって実に痛かった。東京では一家六人の生計がどうにもつかず、村へ帰れば、廃家ではあるが家賃の出ない「屋根の下」があることだし、なおその他のいわゆる「諸式」だって少しは軽減されるであろうし、それから精神的な理由もあったが、とにかくそう考えて生活転換をした矢先なのである。だが、文筆生活などをしていると、一文なしになることなんかもはや不感症以上で、「二三日したらどうにかなるだろう!」と図太くも高をくくる癖がついている。これは実に百姓生活をしている人達には分らぬ気持であり、また事実でもある。余談になるが、浩さんへ無けなしの十円を出してやると、それがぱっと喧伝されたとみえて、やがて私たちは、金をのこして村へ引っ込んだ……という噂が立ってしまい、大いに面目を……否お蔭でさまざまな窮地に陥込むことになるのだが、それはあとの話である。
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 浩さんはなかなかいける口らしいと知ったのは、その十円を持っていそいそと帰って行った夕方、その妹が例の「ちょっとした」姿をして村の辻へ走るらしかったからである。――が、そんなことはどうでもいいことだ。ただこの妹については、村人の話だと、彼女ゆえに、浩さんのもとの女房はいわゆる「逐電」したのであり、どうも奴らは若い頃から「怪しかった」というのであるが、実は私たちも、最初は妹とは知らず、若いのと取りかえたのだろうと信じていたのだった。が、これも実はどうでもいいことだ。とにかく浩さんも村人なみに旧正月を迎える支度をするだろうと、妹のその姿を眺めたとき、私たちは単純な百姓の生活をむしろ羨んだのであった。
 その年は雪また雪の連続であった。そのために正月が終っても浩さんは仕事に来てくれず、私はしばしば机の前から離れて、風呂をたく薪をこしらえなければならなかった。もっとも浩さんは自分の家の台所へ水汲みのついでに、私とこの水も汲んでくれた。二度も浚ったに拘らず、村でいう「まち井戸」である私の家の古い井戸は、一滴の水も湧かなかったのである。夏の盛りと冬季間には、毎年こうした状態になるのが常で、彼岸がやってきて水が出来るまで、他の、「本井戸」――地下水まで掘り下げた七十尺ほどもあるやつ――から貰い水をしなければならぬのであるが、その本井戸なるものは、約二町はど離れた小川芋銭先生の家にしか近みには無かったのである。雪解や霜のために道は悪く、桶は重く、私達にとっては全くこれは難事だった。月三日の決め以外に払うことにしてついに私のとこではこれも浩さんに依頼したのであった。
 しかし浩さんは出歩く日が多かった。せっかくあてにして待っていても、ついに風呂の水はおろか、炊事の水にも事欠くことがしばしばだった。この辺の農村生活に不馴れな妻は、その度ごと
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