に不如意がちな私たちの離京生活をなげくのであった。
浩さんにそれが通ずるなんてことはありえない。平然として浩さんは自分の生活を生活した。明日持って来るからといって一円二円の酒代を借りに来ることも二三度に止らなかった。
* * *
そのうち彼は嫁さんを貰うことになったという話を自分からした。子供をひとり連れて来るそうだが、まだ十九とかで……もっとも俺のことも先方へは三十位に言ってやってあるらしい。としごく暢気である。どんな女かまだ見もしないし、先方でもまだ誰も見に来ないというのである。式があるという日は大吹雪で、新聞によると、方々で花嫁の遭難談があったらしいが、浩さんの嫁さんも途中でひっかかってしまい、その翌日ようやくの思いでたどりついた。迎えに行った浩さんは吹雪のために道を失い、腹の方まで埋る道なき道を歩き通したために胃腸を冒され、お蔭で花嫁さん(?)を前に、二三日起きることも出来なかったとか。嫁さんらしい人の姿と子供の泣き声はするが、肝心の浩さんの姿が見えないのでどうしたのかと考えていたら、そこへ青くやつれた浩さんが薬を貰いにやって来てのその話だった。
嫁さんと入りかわりに妹がどこかへ出て行った。「嫁にやった」のだと浩さんは言ったが、誰も信用しなかった。「また前借踏みたおして三日もすると逃げて来ンだっぺ」と村人は噂していた。ところで一方、嫁さんは十九どころか二十五六には見えた。子供というのは二つ位の女の子であった。浩さんは病気がよくなるとその子をおんぶして、ぶらりと、私が薪を割ってなどいるところへ遊びにやって来た。都合がついたら一日やって来て薪ごしらえをしてくれないかと頼むと、明日でも、と答えるのであったが、その明日になると姿が見えなかった。朝っぱらから用があって他出したのだという。何日頃来てくれるかと念を押すと、雪がなくなったら二三日つづけて薪ごしらえをしたり、野菜畑の準備をしたりしますべと答える。雪はしかしなかなか消えなかった。ようやく庭先になくなったと思うと、空模様が怪しくなってちらほらやって来るが、それでもとうとう春は訪れて来た。雀は雪に凍てた羽根をのばして朝早くから啼き、四十雀や目白などの美しい小鳥の群も庭先の柿の木へ餌をあさりにやって来るようになった。雪の解けた下からは黒い土が、ほかほかと陽炎《かげろう》を立てた。
* * *
もうじっとしているわけにはいかなかった。私は原稿書きを放っておいて、廃屋のあとを開墾するばかりに片づけたり、花をつくろうと思う空地を掘りかえしたり、果樹類を植えようとする藪を伐りはらったりしはじめた。同時に浩さんの姿を見るたびに、それとなく促すのであったが、浩さんはいっこうやって来てくれる様子はないのであった。「嫁にやった」妹が都合で戻ってくるし、嫁の里に病人が出来るし、親父の方の用事がどうで……と、そして反対に一円だ、二円だである。この頃ではもう水も汲んでくれないので、それらは一ヵ年分の約束のうちに加える条件にするより他はないのであるが、しかしどうせやらなければならぬものであるからと考えて、私たちは出してやったのであった。
浩さんの姿は見えたり見えなかったりした。ある日、近所の人が通りかかって、「浩さんがいねえちけね……」というのであった。
「まさか。」
「なんでも妹と二人で関西の方へ行っちまったとか……」
私たちは「開いた口が塞がらぬ」という状態に遭遇したのだった。実際、はた[#「はた」に傍点]から見たらぽかんとしていたかも知れなかったのである。
「家財道具みんな売り払ったばかりでなく、畑作まで処分して出かけたッち話だね。」
「でも、嫁さんは……昨日もいたようだが……」
「なんでも留守させて、その間に、二人でみんな運び出したって話だね。夜中に、この坂の下へトラック来たの見た人があるちけから……」
浩さんの前半生が分った。どこへ約束しても彼は金をつかんでしまうと仕事に行かず、ちびりちびり飲んでしまうので、もはやそれを知るところでは雇い手がなかったのであった。幼い時から村を出て樺太から九州の端までほっつき歩いた「風来坊」――村人の表現――で彼はあったのだ。
「知らない土地へ行ったらあれでも夫婦で通ッぺね。」真面目な顔で話し手はいうのであった。それから村の酒屋ではいくら、どこそこではいくら引っかけられたという話の末に、お宅でもですぺね、と訊くから、少しばかりやられた……しかし問題なのは残されたこの仕事だ、すっかり信用してしまってあてにしていたものだから、というと、
「いや、全くそれは降参(浩さん)しやしたね」といってその農夫は、不精髭に蔽われた熊のような顔でにやり笑ったのであった。
底本:「犬田卯短編集二」筑波書林
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