といつかなかった。労働と叱責、それは彼らにとって堪え得ないものであるらしかった。彼らは彼ら自身の生活方法を獲得していて、夜だけはどうやらぼろ[#「ぼろ」に傍点]家へかえるが、夜が明けると雀のように唄いながら餌をあさりに出てしまった。
 作物を荒された村人は、よく親父のところへ抗議するのだったが、親父先生は返事もしなかった。執拗に談じ込むと、彼はうるさそうに叫んだ。「ぶっ殺すともどうとも勝手に、勝手に……俺は、俺だ。俺の知ったことじゃねえ。」
 彼は炊事もやらなかった。殆んど塩と水で生きているらしい、とは近所のものの観察である。彼がああなる前に収穫した籾が、俵に五六十残っているが、そいつを小出しに、ぽつぽつ食っているらしいとのことでもあった。
「こないだ郵便物が来たから持って行ったら」とこの話をした私の友人――××局の配達夫をやっている――が真面目な顔でつけ加えるのであった。「相変らず堆肥のような蒲団の中に、この暑いのにもぐっていて、そんなものわざわざ持って来てくれなくてもよかったっけな……なんて、手紙を受取ろうともしないんだから……」
「百円札が入っていたかも知れないのにな。……それはとにかく、気狂いかね。」
「いや、気は人並み以上に確かですよ。議論をはじめたとなると滔々として政治問題、社会問題、人生問題、なんでもやるんですからね。」
 友人の話を総合すると、数年前妻に死なれてから、彼のそうした新生活がはじまったとのことだった。婿であった彼は、それまでは人一倍の働き手だったし、真面目一方の若者だった。
 それで解る。彼はこの社会に絶望したのだ。そしてそれっきりになってしまったのだ。が、それはとにかく、このニヒリスト先生、つい過日のこと、のこのこと万年床から這い出して、草蓬々の自分の畑をうなったそうである。
「何か蒔くつもりでしょうよ。籾俵を食いつくしてしまったんですね、きっと。子供らのように、まさか、手あたり次第、ひとのものを取るわけにも行かないでしょうからね。」
「ニヒリズムの破産ですかね。」

     伝統拒否者

 彼女は呉服ものの行商を営んでいた。家にいることはめったになかった。一週間も旅先から帰らなかった。稀にかえって来ると、彼女は屋敷の殆んど半ばを占める野菜畑へ出て雑草をむしったり、季節々々のものを蒔いたりした。
 彼女はまだ若々しかった。時に行商から
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