小川先生を訪問すると聞いてびっくりしてしまい、「ちょっと待て!」をやったあとだった。とにかく本当に伊田見男爵の令嗣だというあかしを見てから紹介するならした方がよかろうと、M教師と同道でことわったのである。で、Kにも言った。「眉つばものだぜ。」が、Kは華族の令嬢と結婚出来るものと信じて疑わない。
 男爵は、その時、では「証明」を手に入れてくると言って、急遽東京へ立ったのであった。そして二日して、戸籍謄本と××子爵の堂々たる紹介状とを持って、また村へやって来た。が、M教師とS画家とはまだ信用するまでには行けなかった。
「おい、二人でこっそり調べて来ようじゃないか」とM教師はいうのであった。
 そこで二人はご苦労さまにも東京へ出発したのである。と、それと気づいた男爵は、ふいといなくなった。夕方、東京から、ニセだから捕えろ! という電報が村の巡査へ来たとき、彼はもはや消えていたのである。が、あとで捕まった。男爵閣下は茨城北部のある町の床屋さんであった。道理で汚ない風姿はしていても、いつも髪だけはきれいに撫でつけていた。

     虚脱人

 彼の田地は「茅山《かややま》」――草葺屋根の材料にする茅刈り場――そのもののごとく草|蓬々《ぼうぼう》であった。背丈を没する葦さえそれに交って、秋になると白褐色の穂を、老翁の長髯のようにみごとに風になびかせた。数年この方、彼は耕さなかったのである。しかも自己の持地に隣る三反歩の小作田まで一様に死田化して顧みなかったのだ。
 水田ばかりではなかった。畑地をも彼は雑草に一任してしまっていた。親戚のものは、わざわざ何回も「会議」を開いて彼に忠告した。村長や警察まで心配して――なんとなれば彼は国民の三大義務の一つ、納税なるものを果さなかったので――威嚇した。三反歩の方の地主は強硬に土地返還を迫った。が彼はそれらのいずれに対しても頑として応じなかった。「勝手に何でもやれ! 俺は、俺だ。」
 そして彼は毎日寝ていたのだった。夜も昼もなかった。一番奥の部屋へ蒲団を敷きぱなしにして。屋根からは雨漏りがした。壁は崩れてしまった。掃除もしない家の中は、埃や鼠の糞だらけだった。
 彼には二人の子供があった。長男は十四歳で次の女の子は十二歳のはずだった。彼らは全く野獣化して、他家の果樹へよじ登ったり、畑のものを失敬したりして生きていた。親戚で引き取っても三日
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