な生計を立てていたのである。妹だという三十二三の女は、村に似合わぬ町場の商売女のような風姿をして、なすこともなく家の中に遊んでいた。彼女は十年も「籠の鳥」――村人の言葉――をしたあげく、そこを出て来てからは、いわゆる「ちょっとした」その風姿が物語るごとく、場末のカフェとか、田舎町の料理店とかを転々としていたのだそうで、「三日もすると」――これも村人の表現――そこを飛び出してしまうのが常習であったとか。
* * *
もっともこうしたことは、私たちはあとで聞いたので、帰村当時は、村人ともあまりそういう種類の話をする機会もなかったので、何も知らなかったのである。しかし浩さんが村でいう「とはり」というところの出であることは、私は彼の小さい住居が私の家の前の桑畑の片隅へ建ったとき聞いていた。それにしても私たちにとって、そうした種類のことは少しも問題でなかったのである。月に三日間、ことによっては差し繰って五日でも六日でも仕事にやって来てくれるという一事に、私たちは最大の利便と助力とを感じたのであったのだ。
約束は伐り払ったままになっていた椎の木の枝を片づけに一日頼んだ夕方に出来上ったのであった。浩さんは次の日も来てくれて、枝の片づけをどうやら終った。それは旧正月の二日前のことで、村では餅つきも終り、一年間の決算をつけなければならぬ間際であったのだ。浩さんはその晩近所の親しい家で酒をご馳走になって来た……などと言いながらひょっこり土間へ入って来た。私は就床していたが、酔ったと言いながら何かしおしおしている浩さんの顔を見ると、「金だな」と妻は直感したそうである。翌くる日浩さんはまたやって来た。いくら位要るのだと訊ねると、彼は、年の暮で、どうも……と濁している。結局半年分、いや十円もあればどうやら越せるのだと言う。私の考えでは、村の習慣を知らぬものだから一年分を三つにしてその一つだけでもやればいいのだろうと考えていたのであった。十円は私たちにとって実に痛かった。東京では一家六人の生計がどうにもつかず、村へ帰れば、廃家ではあるが家賃の出ない「屋根の下」があることだし、なおその他のいわゆる「諸式」だって少しは軽減されるであろうし、それから精神的な理由もあったが、とにかくそう考えて生活転換をした矢先なのである。だが、文筆生活などをしていると、一文なしになるこ
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