となんかもはや不感症以上で、「二三日したらどうにかなるだろう!」と図太くも高をくくる癖がついている。これは実に百姓生活をしている人達には分らぬ気持であり、また事実でもある。余談になるが、浩さんへ無けなしの十円を出してやると、それがぱっと喧伝されたとみえて、やがて私たちは、金をのこして村へ引っ込んだ……という噂が立ってしまい、大いに面目を……否お蔭でさまざまな窮地に陥込むことになるのだが、それはあとの話である。
* * *
浩さんはなかなかいける口らしいと知ったのは、その十円を持っていそいそと帰って行った夕方、その妹が例の「ちょっとした」姿をして村の辻へ走るらしかったからである。――が、そんなことはどうでもいいことだ。ただこの妹については、村人の話だと、彼女ゆえに、浩さんのもとの女房はいわゆる「逐電」したのであり、どうも奴らは若い頃から「怪しかった」というのであるが、実は私たちも、最初は妹とは知らず、若いのと取りかえたのだろうと信じていたのだった。が、これも実はどうでもいいことだ。とにかく浩さんも村人なみに旧正月を迎える支度をするだろうと、妹のその姿を眺めたとき、私たちは単純な百姓の生活をむしろ羨んだのであった。
その年は雪また雪の連続であった。そのために正月が終っても浩さんは仕事に来てくれず、私はしばしば机の前から離れて、風呂をたく薪をこしらえなければならなかった。もっとも浩さんは自分の家の台所へ水汲みのついでに、私とこの水も汲んでくれた。二度も浚ったに拘らず、村でいう「まち井戸」である私の家の古い井戸は、一滴の水も湧かなかったのである。夏の盛りと冬季間には、毎年こうした状態になるのが常で、彼岸がやってきて水が出来るまで、他の、「本井戸」――地下水まで掘り下げた七十尺ほどもあるやつ――から貰い水をしなければならぬのであるが、その本井戸なるものは、約二町はど離れた小川芋銭先生の家にしか近みには無かったのである。雪解や霜のために道は悪く、桶は重く、私達にとっては全くこれは難事だった。月三日の決め以外に払うことにしてついに私のとこではこれも浩さんに依頼したのであった。
しかし浩さんは出歩く日が多かった。せっかくあてにして待っていても、ついに風呂の水はおろか、炊事の水にも事欠くことがしばしばだった。この辺の農村生活に不馴れな妻は、その度ごと
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