た。しかし東京も不景気で暮しにくいから、保養かたがた田舎へやって来た云々、……A自身も時々近くの家へ遊びに行くようになって、村人の「安心」は次第に増していった。ところがある日、Aの口がちょっとすべったのだ。
「俺には家の構えを一目見ると、どんな大名屋敷でも、どこに金がしまってあるか分る!」
村人はこの一言に、すっかり戦慄してしまった。婉曲な立ち退き策が成功して、Aは村を去った。空手でやって来た彼は、大きなトラックで荷物を運び出した。
浩さん
月に三日間働くことにして今年いっぱい、一日五十銭の割で約束してもらえまいかと、つい五年ばかり前から、小さい名ばかりの草葺家を建てて私の家の屋敷続きに住んでいる松原浩さんが言うのであった。食事はむろん自分持ちとのこと。
ちょうどその当時、私のところでは東京から帰村したばかりで、それまで妹夫婦に任せきりにしておいた屋敷廻りの片づけ、手入ればかりでも容易なことではなかった。第一、天を摩す……も少し大げさな形容かも知れないが、とにかく永年の間伸び放題、拡がり放題にしてあった南風除けのための周囲の椎の大木の枝を、人を雇って伐り払ったその後始末からして、私の柔くなってしまった手には負えることでなかった。壊れた外廻りの垣根から、廃屋を取毀したあとの整理、井戸浚い、母家の修繕……と数え立てると眼前に待っている仕事だけでも限りがない気がする。机の前に座って自分の仕事を――原稿書きをしようとしても、そういうことを気にしだすともう手がつかないのである。で、浩さんからの申し出を私たちは二つ返事で承諾したのであった。それに全く誂えむきに、彼は百姓仕事のみならず、壁塗りでも、垣根づくりでも、井戸掘りでも、植木類の移植のような仕事でも、なんでも器用にやれるという村人の評判であったのだ。年齢は三十七だとのことで、五つ六つ年上の女房と二人暮しをしていたのであるが、私たちが帰村してから間もなく、その年上の女房は「逐電」――浩さんの直話――してしまい、彼はその時妹だという「ちょっとした女」――これは村の一中年者の酒の上での表現――といっしょに、その一室きりない草葺家に暮していたのであった。彼はほんの少しばかりの田畑を小作しているとのことだが、むろんそれだけで足りようはずはなく、養蚕時はその手伝いに、農繁期には日傭取りに……というふうにしてささやか
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