蔭で、この山間の村々でも、約三百軒の貧農、中農が、まき添えを喰って倒産する。だが、それも時代の勢いというもので、何とも仕方がない。まずまず身代はたかれて百姓が出来なくなったら、工場だ、工場だ……」
 だが、儀作の耳へはそれは入らなかった。いや、入るには痛いほど入っても、忰がかえるまで、どんなことがあろうと商売がえするつもりはないと告白した。と、前村長はしばらく考えていたが、ずばりと、
「古谷からの借金はいくらあるんだか。」
 儀作はちょっと応答に窮した。肩をもじもじさせてから何か言おうとしたが、下を向いてしまった。
「元金は?」と前村長は無遠慮にたたみかけた。
「その、元金というのは、あれ、なん[#「なん」に傍点]ですよ、あの『荒蕪地』――村長さんが払下げてよこした……」
「ああ、あれか……あの時は君らも随分ぶうぶう言って、俺を悪党扱いにしたっけが、今では見ろ、あのために後藤新平閣下の計画どおりに、実に立派な大東京になったから。いまでは世界第三位の大都市さ。さすがに閣下は先見の明があったよ。実にえらかった。総理大臣にはならなかったが、総理以上の総理の貫録はあった人物だ。あの人の大計画を成就させたについて、俺どももこれ、ちょっぴり功労があったかと思うと、東京サ行って、まるで西洋みてえな丸の内なんちうところドレエブしてみろ、いい気持なもんだぜ。」
 そこで儀作は永年胸のうちにくすぶっていたものを吐き出した。
「でも、あれですね、村長さん。俺ら、川の水ながれるところまで高い金を出して買わされて、その金で東京おっ立ててみても、これ……。それに、あれです、いくらあの川ンとこを測量してみて『買い上げ』てくれと請願しても、村長さんはちっとも、てんではア取りあげてくんなかったし……」
「冗談いってら、あれは君、ちゃアんと俺は村長の職務引き渡しすっとき、後任へ話しておいたぜ。あれをまだ実行せんのかい、怪《け》しからん奴じゃ。事務怠慢にもほどがある。」
「俺はもう請願するたびに面白くねえ思いするばかりだから、あっさり諦めてますがね。」
「うむ、まアそれもそうだな。人間、なんでも諦めが肝心だって、古人も教えているからな。」
「でも、村長さん、あの時の五十円が、いつか二百円になってますぜ。」
「放っておけば当然……だが君、そう言っちゃなんだが、あの頃出来た君の娘も、いつか十七八になってやし
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