と、母親が寝ている枕もとからぼろけた財布をひっぱり出して五十銭玉を二つ畳の上へならべ、占い者にかんがえてもらって来たらいいだろうというのであった。
「無駄だわ、そんなこと――」
 お通はそっぽを向いたが、無論あきらめてしまったわけではなかった。いや、考えれば考えるほど諦めきれず、これからもう一度探して来ようと思っていたところだったので、「どうせ、あたりもしめえ」と重ねていって見た。
「当るか当らねえか、それは分らねえが、ひょっとして当るかも知れねえからよ、それが八卦だねえの。」
「あたらなかったら、ただ銭うっちゃるようなもんだしな。」
「それではお前のいいようにするさ。でも、一文なしではしようあるめえから、とにかく何に使うばって、その銭はとっておけな。」
「駐在所へだけは届けておこうかな。」
 彼女はそう言いながら起ち上る拍子に畳の上の五十銭玉二枚をつかんで掌に入れていた。
 村の巡査駐在所は隣部落――お梅やお民らの近くにあった。お通は昨日の道筋をさらに丹念に探してから駐在所の方へ急いだ。と、どこかへ出かけようとする巡査が自転車で先方からやってくるのに出遇ったので、それをよび止め、紛失の話をした。すると巡査は笑って、
「ようく探したか、どこか家の中へ置き忘れてでもいるんだねえか」と軽く受けた。
「そんなはずはないんですがね。」凋れるお通を見ると、それでも、「拾得人が届けてよこしたらすぐに知らせるから。――でも、何だな、もっとよく方々さがしてみるんだな。」
 そして自転車をとばして行ってしまった。
 お通は巡査のその態度に何だか悲しくなって胸がいっぱいだった。軽蔑していた占い者へ、やっぱりすがろうとする気持が、むらむらと起ってくるのを抑えることが不可能だった。占いをする人というのは渡りもので、十年ばかり前にこの村へ落ちつき、籠屋渡世をしているのだが、本職の方よりは、家の方位を見てくれとか、子供が長病いをしているが何かの崇りではあるまいか考えてくれとか、嫁取り婿もらいの吉凶から、夫婦喧嘩の末にいたるまで、あらゆる日常的な、しかしながら常識をもってしては判断のつかぬ事柄があると、きまって依頼されるその種の占いの方が収入になっていたのである。お通がこっそりと土間へ踏みこんだとき、この籠屋はまだ朝食をすましたばかりらしく、どてら着のまま長火鉢の前ですぱり、すぱり煙草をうまそうにやっていた。どこと言ってこの辺の普通の百姓と変りのないその様子……身装《みなり》顔付、応対ぶり、それらが村人をして何の遠慮もなくここへ足を踏み入れさす原因かも知れない。お通も近所の人へ物をいうような口調で、昨日の一件をこの卜筮者にまで述べたてたのであった。
 すると籠屋は煙管を措《お》き、茶を一杯ぐっと傾けて、さて、表座敷の神棚から一冊の手垢《てあか》に汚れた和本を下ろして来て、無雑作にたずねはじめた。
「昨日の何時頃だったけや、家を出たのは……東の方角へ向ったんだな、それから南へ向って行った。と、朝の九時頃。」
 お通はどうせ見てもらうのなら出来るだけ委しく見てもらいたかったし、別に身の恥をさらすわけでもないのだからと思って、覚えているだけのことは残らずいうつもりだった。が、籠屋は自分の訊ねた以外の話は、ただうなずくだけで受けながし、じっと本を眺めていたが、お通が終らぬうちに言いはじめた。
「これは家からそんなに遠くないな、部落内《むらうち》だ。まア、遠くて坂の中途あたりまでだ。でも、はア、探すがものはねえ、子供の手に入っている、十歳から十二歳までの子供だ。よそから来て通りがかりに見つけて、一里以内のところへ持ち去っている。それで、金はまだそのままそっくりしている。使いたくてもちょっと自分勝手には使えないような家の子供だ。」
「大尽どんの子供かな、では……」お通はひょっと心当りがして念を押した。
「そうでもねえが、家でやかましく躾けている子供だから、ひょっとすると持っているの悪いと思って駐在所へ届けっかも知れねえ。でなけりや、また、そうっともとのとこへ戻して知らん顔するか、そのどっちかだ。何にしてもこの金は、もとへ戻ると卦には出ているからな。」
 それから籠屋は、ばさりと本を伏せ、煙管へすぱりすぱりと息を通して刻み煙草をつめ、やおら言い出した。
「買いものに出るには日が悪かったな。先負の、東南方旅立ち事故生ずという日にあたっていたから、昨日は……午後からなら別段のことはなかったが。」
「そんなこと、やっぱり有るかしら。」お通は信ずることが出来なかった。
「まア、あるものと考えていれば間違いはねえな」と卜筮者はしごく鷹揚に構えて、「そんなことねえと思うと、ついうっかりして、どんなまねでもするし、あ、今日は悪い日だなと考えれば、何をするにも気をつけてやるようなもんで。」
「でも、悪い日だなんて言われると、怖くなって何も出来なくて困ることもあるんだねえかしら。」
「そんな人は九星にとっつかれている人で、九星の吉凶というのはそんな意味だねえよ。悪日というのは気をつけろっちうことなんだから。」
 そう聞くとお通はなるほどと思った。それから失くした金は二三日中には必ず出ると繰りかえし卦のことを言われてすっかり喜んでしまった彼女は、帯の間から白紙につつんだ五十銭玉二つを出して、
「あの、いくらですぺね。」
「あ、それは、なアに、思召しでいいんだよ。何もこれ、商売ではねえんだから。」
「ではこれだけでいいかしら。」
「なアに、半分でいいから。」
 口だけで、別に押してかえそうともしないので、お通は惜しかったが二つをそのまま置いて戸外へ出た。
 家へかえって話し、それから彼女はいつものように往還で遊んでいる子供らに、昨日、隣り村の誰かが遊びに来はしなかったか、姿を見かけたものはなかったかと訊ねてみた。子供らはぽかんとしていて答えるものがいない。「あいよ、昨日の九時頃よ、あれは……要三は、菊一は、佐太郎は……」しかし一人として来たというものも姿を見かけたというものもなかった。学校がえりの大きな連中をつかまえて聞いてみても、結果はついに同様でしかなかった。おそらく誰も知らない間に自転車ででも通りかかって拾って行ったのかも知れない。お通は訊ねるのをあきらめて、とにかく明日まで様子を見ることに決心した。籠屋のいうように、拾ってはみたが使いようがなくて、そうっと戻しにやってくるかも知れぬ。
 しかし、それもついに空頼みに終った。翌くる日もすぎ、四日目になったが、依然として金は出て来ない。
「あれにかんがえてもらえな、地神さまに。」
 母親が言い出した。あまりにがっかりしてしまっている娘が可哀そうだったのだ。
 そこでお通は沼沿いの丘の下へどこからか漂着して住んでいる山伏のような「地神様」と村人がよんでいる方位師のところへ行って見てもらった。と、この天神ひげを生やした痩せぽちの老人は、まず筮竹をがらがらとやって算木をならべ、それと易経とを見くらべながら、「うむ……うむ……」とうなっていたが、だいたい籠屋のいったように、日が悪かったことから説き出して、さて、
「この失せものは南の方、家より半道ほどの枯草の中に落ちています。今日中は誰の眼にもとまらず、そのままだが、今日をすぎると子供に拾われる恐れがありますな。……まア草摘みにでも出た子供が見つけるというような寸法でしょうな」というのであった。
 見料はときくと、一円だというので、お通は母から今の今もらったばかりの第二の五十銭玉二つをそのまま置いて、それから子供らに拾われてしまっては大変と思って、国道へ引かえし、暗くなるまで一人で探し廻った。が、それも無駄骨に終ったので、その翌日、またしても国道の枯草を引っ掻き廻した。
「家から半里……きっとこの辺に違いない。」
 両手は朝露にぬれ、足も枯草と泥に汚れて、もはや血眼の彼女は、人に見られてもかまわず、野ばらの蔓の中まで掻き分けた。
「何だか、そんなとこで……」とわざわざ自転車を下りて訊ねる見知り越しの人もあった。
「蟇口失くしたんだ」と彼女は判然と答えるのであった。

     四

 野良仕事など容易に手につかなかった。彼女はもう近所の人にも公然と言明して、こないだの道筋を探しに探し廻ったが、いぜんとして発見できなかったので、今度は二里もある沼向うの村の占い師を訪ねてさらに一円の見料を払ったのであった。ところでこの道楽で易など見ているんだと自称するまだ若い卜筮師は、「これは庭先か門口に落したんで、落してから五分以内に、極く近所の始終出入りしている三十がらみの女の手に入っている」というのであった。お通ははっと思ったが、自分の家へ夜昼なしにやってくる隣家のお信お母《ば》さんを疑いたくはなかった。もっとも自分が蟇口を落した日以来、そのお信お母さんは、どうしたのかまだ姿を見せないでいるのだが……それにしても、呼べば応える眼と鼻の間に住んでいるその家の人に、そんな疑いがどうしてかけられよう。彼女は第一、失くした自分がうっかりぽんだったのだ、と諦めることに決心した。自分がやはり抜け作なんだ。そしてその晩また、彼女は殆んど泣き明かした。金が出て来ないことよりは(もうそんなもの欲しくはなかった)やはり自分が抜けているという自意識が、悔しさが、たまらなかったのだ。
「どこかの井戸へでも入って死んでしまってやる……」
 暁方から沼向うの町で花火が上り出した。S川堤の桜が満開になって、花見の客をよぶそれは合図なのであった。
 兄貴の和一が昨夜おそいと思ったら、顔など剃ってひどくのっぺりとなり、「今日は午後からだんぜん花見だい……」などとあてつけがましく叫んで、小遣銭かせぎの牛車をひき出して行ったのも彼女にとって癪でならなかった。
「俺も花見だ、俺ら朝っぱらからだ」と追いかけるようにいうと、
「また蟇口なくせ、失くした上に占師に見てもらって三円も損しろ。」
 お通は地団太踏んで「失くすとも、この家の身上ぎり失くして、千円がどこも占いやって、借金こしらえてやらア。」
 くさくさして仕方がなかった。本当にS川土手へ行ってやろうかと考えたが、もう母の財布にもそんなに金は入っていないことを彼女は知っていた。もっとも兄貴は相当持っているに相違なかった。豚を売った金だってまだそっくりしているはずである。今朝も、「失くしたものは、はア、いくら何といったって仕様ねえんだから、野良着だけは和一が買って来たら……」という母親に対して、「ばかな、俺ら今年は裸体《はだか》で田植だ」なんて罵ったくせに、あとでは二反買うのか一反でいいのかなどと聞いていたくらいであったが、でも、お通へは一銭だって出すまいとするのである。「そんなけちん[#「けちん」に傍点]坊なら誰が……たといやろうといったって貰ってやるもんか。」
 お通は麦さく切りに出かけた。二三日くよくよ探し廻っているうちによその家では切り終えていたらしく、もう誰の姿も見えなかった。汗を流して働いていると花火のことも着物のことも気にならない。ぽかぽかと暖かい日光、大空に囀る雲雀、茶株で啼く頬白、ああ、春ももうあといくらもないのだ。菜の花の匂いを送ってくる野風に肌をなぶらせつつ、いつか彼女はぼんやりと考えこんでしまっていた。
 午後も畑へ出るつもりでいると、お梅とお民がけばけばしいレーヨンの春衣で、きゃっ、きゃっとはしゃぎながら訪ねて来た。
「行かない?」と彼女らは口々に叫んで庭先へ駈け込んだ。「このいい天気に、もさもさ麦さく切るばか[#「ばか」に傍点]はねえわよ。」
 お通は縁側に腰をもたせかけ、畑の土のついた地下足袋をぱたぱたと叩き合せて、
「そうよ、世界にたった一人しか、なア。」
「誰よ、そのばか[#「ばか」に傍点]は。」
「俺よ……十五円もすっぽろっちまって、何が花見だってわけだ。」
「あれ、まだ出て来ねえの。」
「出るもんか、出たくらいなら今日ら、鼻天狗で、すしでもカツ丼でもお前らの好きなもの奢ってやら。」
「くよくよすんない」とお梅さんが大振りの晴れやかなでこぼこ[#「
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