輩であった。答えようとして顔を上げると、そこにはもう一つの知った顔が重り合うように覗いていて、何かどなっている。ああ、やっぱりあのご連中も町の呉服屋へ買いものに行くんだ。お通は渦巻く砂塵をとおして左手を振りながら、ただそれに応えたが、ひょいと自分が行きつくまでにあいつ[#「あいつ」に傍点]を――こないだしみじみと見ておいたあのレーヨン錦紗を、ご連中の誰かに買われてしまいはしないだろうかと考えた。ああ、バスに乗ればよかった。十銭ばかり惜しんだために、あれを人に買われてしまっては、それこそ取りかえしがつかなかった。
 彼女は道を急ぎ出した。一時間を四十分に短縮することはあえて不可能ではなかった。かつてお裁縫を習いにこの路を町へ通っていた時分の、ある夕方のこと、怪しげな身装の、見も知らぬルンペン風の男にあとをつけられた時は、二十分とかからないで、沼岸のさびしいところを村はずれの一軒家の前までやって来たこともあったのだ。しかもそれは弱気を見せまいために決して駈けはしなかったし、つとめて平然と、だが心の中では出来るだけ早くと足を運んだのであったが――
「あんなつもりになれば、四十分みれば充分だわ
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