顔をつき合せたことがなかった。家内はしばしば道で逢って話したり、村の居酒屋で老爺がコップ酒を楽しんでいるところへ行き合せ、限りもない追憶談の中へ引き込まれたりしたらしく、時々、老人のことを噂するのであった。
「ひとりぽっちで淋しいんでしょう、うちへ遊びに来るなんて言ってたわ。」
 東京生活をした者は、やはり東京生活をしたことのある者でないと話が合わない、と口癖のように、話し合った最後には付加えたという。
 四郎右衛門という家は、同じ部落内のことで、私は幼いときから知っていた。しかしこの老人の存在は、私の知識の範囲外にあったのである。まる二十ヵ年の私の不在の間に、ここの家は空家になってしまっていた。私の記憶にあるのは、陽だまりに草履や笠を手づくりしている一人の老婆と、ささやかな呉服太物の包みを背負って近村を行商して歩いていた四十先きの女房の姿である。この二人のほか、誰もこの家にはいなかった。亭主に死に別れたこの女房には一人の子供があって、それはどこか他県の町に大工を渡世としているとかいったが、たえて故郷へかえるような様子は見えなかったのだ。
 いま聞くところによると、無人のこの家に起居し
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