れる。それに朝の日光が当ると、美しいとみんなが言った。また冬には、かささぎの声が珍らしかった。
三寒四温といって、思いがけなく暖かい日もあった。
春が来るのは遅かったが、春になると鳥の声が長閑かであった。夏の昼間はきびしいが夕風が立つと、夜寒を感じるのであった。
眼で見る楽しみのない私には、この自然の音や、気候を感じるのが楽しかった。
私は学校へ行けなかったが、学問が好きで弟の勉強して居る側に何時も附いていて、いろいろ聞き覚えをしていたが、読本の中に、水の変態と言うのがあって、水が霧、雲、雨、露、霜といろいろに変るという和歌であった。
私はそれを聞いて面白く感じたので、十六歳の時、この歌によって、初めて水の変態の作曲を試みた。
私はその頃から、東京を憧れて何とかして、東京へ出て一勉強したいと思い、一生懸命かせいでいたが、かせいでも、かせいでも、家族が多いので貧乏は続いた。
私のおばあさんは、私が不自由なのでどの孫よりも可愛いといって、二つの年から面倒を見て可愛がってくれたが、そのおばあさんが突然死んで往った。私は頼りない気がして悲しかった。しかし父は身体もよくなって勤めら
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮城 道雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング