れるようになった。
 私は人の薦めによって、京城へ移って行った。京城に居る中に、友人で文学少年があって、それが私に新しい小説や、西洋の有名なものの翻訳など、いろいろ文学に関する本を読んで聞かせてくれたり、夜になると散歩に連れて歩いてくれた。南山に登ったり、静かな町を歩いたりしながら、若い心持を語り合ったことを今でも想い出す。
 その頃京城に、日希商会というのがあってその店のギリシャ人が、私に西洋のレコードが新しく入ると、何時もいろいろ聞かせてくれた。私はしまいには、工面をしてレコードを時々買うようになった。
 その頃は、西洋音楽のレコードは、未だ一般にあまり知られていないようであった。
 面白いことに私は、何も知らないで聞いて自分の好きなのを求めて来たが、あとで見て貰うと、それが西洋の有名な曲であったりした。私はこのレコードを聞いている中に、箏の曲にも和声や、対位法を取り入れたいと思って、箏の四重奏などいろいろ試みた。
 人は一心にやっておれば、また恵まれる時も来るもので、私は大正六年に機会を得て、宿望の東京へやっと出て来たが、東京へ来てからも、またいろいろの方面で困った。
 それが少
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